菊池山哉はこう記している。
○秩父本街道筋、毛呂郷の南の入口である。今は山の裾へ、耕地を求めて、次第に分かれて居り、山根村の下村曲輪と接して居る。
○白山神、
○毛呂の農家五十戸、山根村六戸。
○長瀬村の向ひ側であるから、向ひ村と呼んだが、今向井に訛つたと云。
菊池山哉はこう記している。
○秩父本街道筋、毛呂郷の南の入口である。今は山の裾へ、耕地を求めて、次第に分かれて居り、山根村の下村曲輪と接して居る。
○白山神、
○毛呂の農家五十戸、山根村六戸。
○長瀬村の向ひ側であるから、向ひ村と呼んだが、今向井に訛つたと云。