学術・研究:部落探訪(193) 三重県津市愛宕町

アバター By 鳥取ループ

実は前回の相生町の前に訪れていた部落があった。それが、愛宕町である。戦前の記録では290世帯、職業は様々であり、隣の相生町と似たような様相であった。

明治時代は塔世とうせ村の一部で、明治末期に津市に編入、そして現在の名前となった。当時から都市スラムに近い状態だったと考えられ、相生・愛宕といずれも「愛」にまつわる名前が付けられたのは、何か思い入れがあってのことだろう。

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コロナウイルスは経済活動、就学、娯楽、文化活動、スポーツ…あらゆるものを奪い去った。その代わりに人々に疑心暗鬼を植え付け、自粛警察、マスク警察という存在を生み出した。またコロナウイルスをめぐる対人トラブルが各地で報告され […]

東京都が黒塗りにした 解放同盟と人権連の意見書を 手違いで開示した

8月17日午後5時、東京都が「審査請求に関する資料の誤送付について」というプレスリリースを掲載した。一見しただけでは何のことなのか分からないが、解放同盟と人権連が関係する事案であり、異例中の異例と言える出来事なので、盆休 […]

【豊田市郷土資料館企画展】日本人はどう「スペイン風邪」と闘ったのか?

豊田市郷土資料館(愛知県)の企画展「スペイン風邪とコロナウイルス」が地元で話題だ。同展では約100年前、世界各地で広まったスペイン風邪の関連資料を展示している。当時の生活、世相、報道を学び、コロナウイルス対策の一助にしよ […]

【愛知県・名古屋市】あいトリ負担金 請求訴訟で 河村市長は 何を語ったか?

愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(昨年8~10月)の負担金約3400万円の支払いを求めて県が名古屋市を提訴した第一回口頭弁論が8月5日、名古屋地裁で開かれた。『中日新聞』(8月5日)によると名古屋市は昨 […]

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