菊池山哉は、旧下河津村峰にある部落について、こう記している。
○峰村そのものが、街道村ではない。其の田畝の間で.位置として見るべきものはない。○八幡宮。○農家八戸ばかり。○宮の神木をチイの木と称し、直径五尺以上の大樹である。南北朝へ遡るであらう。然れば河津郷の長吏で、修善寺方面、の山路を抑へたものであらうか。
『長吏と特殊部落』
昭和初期の記録では、9戸。「裏町」という名前だった。
菊池山哉は、旧下河津村峰にある部落について、こう記している。
○峰村そのものが、街道村ではない。其の田畝の間で.位置として見るべきものはない。○八幡宮。○農家八戸ばかり。○宮の神木をチイの木と称し、直径五尺以上の大樹である。南北朝へ遡るであらう。然れば河津郷の長吏で、修善寺方面、の山路を抑へたものであらうか。
『長吏と特殊部落』
昭和初期の記録では、9戸。「裏町」という名前だった。