曲輪クエスト(380) 熊谷市 肥塚

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By 宮部 龍彦

熊谷市には何度か足を運んだことがあるが、大衆食堂の近くには古村があると聞いた。

地名で言えば肥塚こいづかのことで、戦前に55世帯があったとされる。ただ、大衆食堂の近くというのは違う。

大衆食堂というのは肥塚にあるPUBLIC DINERのこと。かつては文字通り大衆的な食堂でトラック運転手等で賑わっていたが、ある時店名が横文字になり、女性が友達を誘って来るようなレストランになった。

この店が面白いのは、店の外装内装、料理の盛り付けはお洒落なのだが、従業員も料理の味も完全に大衆食堂であること。熊谷に来たら実際に訪れて体験してみて欲しい。

また、店の片隅には大衆食堂の時代のものと思われる日焼けした漫画が押し込められている場所がある。

しかし、古村の場所はそこから1kmほど北で、熊谷バイパスを挟んだ先である。

元熊谷市職員の方から聞いたのだが、熊谷市ではごみ処理関係の現業職員は特定の地域に偏っており、菊地姓が多かったという。

そこで、名字の分布を解析すると、肥塚の中でも北のはずれ、「天神久保」と呼ばれる場所に集中することが分かった。また、小曽根おぞねの古村とも隣接しており、いずれの村も前林という名字も多いことが分かる。

実は大衆食堂の近くに古村があると言っていたのは先述の元熊谷市職員なのだが、肥塚というだけで、それ以上のことはよく分からない様子であった。ただ、現地に来てみると熊谷市の環境美化センターがある。

確かに、ここには解体業者や清掃業者が多い。

解放同盟の支部もあって、熊谷市で現業職員の処遇で交渉するとなると、同和団体との関わりは避けられなかったという。

この石碑には寛政九丁巳年と彫られている。

これは庚申であろう。

かつては長吏の村で、牢番などの役目をしていたとされる。

昭和初期の時点で生活程度は悪くなく、現在訪れてみたところでも、菊地と表札が出た家は門構えが立派で大きな家が多い。

ここが熊谷市立肥塚集会所で、同和対策の集会所になる。グーグルマップではずっと閉業と書かれているが、実際に来てみると今でも使われている形跡がある。

新しい家もある。昔からよそからここに移住してくる人も多く、文字通りの“混住”地域であるという。

地図や家の住所表記を見ると、肥塚というよりは肥塚と小曽根の境界線上にまたがっている。次回はそのまま歩いて小曽根に向かう。そこで、清掃に関係するこの地域の独特の事情も聞くことができた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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