学術・研究:部落探訪(146) 新潟県上越市板倉区針・関根

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『部落問題・水平運動資料集成』 の第2巻357ページに次の記述がある。

昭和三年十一月中旬、中頸城郡板倉区大字針部落に於ては字民一七五戸共同して株式(一株十円三百五十株)組織の共同浴場を新設し、同月二十三日株主総会に於て同字内特殊部落民十戸、五十五人に対し毎日午後十時以後にあらざれば入浴せしめざる決議を為しかつ之を通告したるより、同部落代表者橋沢喜四郎等寄々協議を為し部落民の入浴時間を殊更制限するが如きは差別待遇を為すも甚だしとなし抗議を申込み、紛争を醸成したるも管内には水平社団体等なく、其他の団体の介在応援等なきため争議拡大せず其間同年一二月新井警察署長に於て共同浴場側役員を承知し懇論の結果、決議及通告を撤回しここに円満解決を見るに至り、目下は特殊部落民も同一時間に入浴し居る実況なり。

この部落については『全国部落調査』に記載がなく、同和事業が行われた様子もない。その後、どうなったのか調査するため、現地を訪れた。

ここには最近出来たコンビニがある。

その近くに正念寺がある。寺にいた人に聞いてみると、宗派は浄土真宗大谷派だそうだ。

墓地には文献に出てくる人物と同姓の「橋澤」という墓石がある。

そして、その近くには浄覚寺という別の寺がある。こちらは西本願寺だそうだ。

2つの寺の関係について聞いてみると、どちらがどの村の寺ということはなくて、主に周辺の家が思い思いに檀家になっているそうだ。

大谷派と言えば 『部落問題・水平運動資料集成』 補巻1の211ページに穢寺の一覧が掲載されており、その中には新潟県内の寺もあるのだが。正念寺の名前はない。 浄覚寺の名前はあるが大谷派の浄覚寺は長岡市にあり、なおかつここにある浄覚寺は西本願寺なので無関係だ。

正念寺の近くには「橋沢」という家がいくつかあるが、とても部落には見えない。ただ、長野県内の農村部落は部落であっても部落に見えないようないの場所が多いので、長野県にほど近いこの辺りでも、見かけで判断することは難しいのかもしれない。

そして、幸運にも橋沢家の歴史について詳しい人から話を聞くことができた。

まず、 橋沢喜四郎という人物について、彼が部落民であるということはあり得ないということだ。橋沢家は戦前からの大地主であり、戦後の農地解放の際は、かなりの土地を売り渡したという。

共同浴場についても、少なくともこの近くにあったとは聞いたことがないという。周辺は自前で風呂を持っている家が多く、燃料となる薪も豊富にあり、また橋沢家が風呂がない家の人を、自分の家の風呂に入れてやっていたというのである。

そして、現在は橋沢の系統の家は実質的には1軒しか残っておらず、本家は既に残っていないし、遠方に移住した人が多いので残った家も時々掃除に来るくらいだという。

文献にある「部落代表者」という記述は「特殊部落民の代表者」という意味ではなく、針地区の代表者という意味であろう。実際、橋沢家はかつては村の代表的な立場だったという。

また、橋沢氏の自宅に風呂があるなら、共同浴場の設立に加わる必要はなかったはずだ。ということは、橋沢氏は全く第三者的な立場だったと考えられる。

おそらく、針地区の中で自前の風呂がない一部の人々が共同浴場を作った際に、文献のような差別待遇があった。 橋沢喜四郎は風呂がない人を自分の家の風呂に入れてやるような人だったので、義憤にかられて地区の代表者として共同浴場の株主らに抗議をした。そう考えられないだろうか?

では10戸55人の部落はどこにあったのか? これについては聞き込みをしても全くわからない。「上越に被差別部落があるなんて聞いたことがない」と言われるような状況だ。

ただ、別の文献によれば針地区に隣接する関根にも部落があったようだ。

確かに、関根には荒れた道と廃墟の多い一角があるが、部落があったといった証言は得られなかった。

実は共同浴場があったのは針地区の中でも関根地区に近い辺りで、文献に出てくる特殊部落民というのは現在の関根地区の部落のことを指している可能性もある。

ただ、いずれにしても、ここに部落があったということは忘れ去られているようである。

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