学術・研究:部落探訪(293)埼玉県 狭山市 柏原 下宿

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By 宮部 龍彦

柏原かしわばらの部落は高杉晋吾『部落差別と冤罪』で、狭山事件に絡めて引き合いに出されている。狭山事件との接点と言えば、石川一雄氏の友人で一度逮捕されたものの釈放された東島明氏がこの地区の出身である。

なお、石川一雄氏が少年時代に柏原で鳩を盗んで捕まっているが、それは部落なのか一般地区なのかは分からない。

柏原は宿場であり、上宿、本宿、下宿があり、下宿が部落である。

戦前の記録では66戸で農業が中心、生活程度は比較的よかった。

菊池山哉『長吏と特殊部落』にはこう書かれている。

本村の最南端入間川近くにある。

白山神、神体は懸仏と言うが、秘して拝めない。西方十町、大谷澤へ行く途中、金糞山で鋳たものと伝えて居る。

農家六十戸ばかり。

祖先はただ一軒、頭の長澤氏で、鎌倉時代に土着した。そのときは入間川の河原に面して居たが、可道が移って、畑に変わった。明治七年、白山社の槻木を切って売ったが、共切口に莚四枚敷いても、まだ足りなかった。頭の家には、澤山の文諜があったが.七代前の火災のときに、牛につけて避難さしたところ、裏の沼へ、牛諸共転がり込むで、失ってしまったと云う。

筵四枚と言へば、四畳であるから、此の木の直径九尺である。多少懸値はあっても、この曲輪が、鎌倉時代へ上る事は確かである。

柏原村は字名を上宿下宿本宿から成り立ち、長さ十町に余る街道村なので、今は重要往還でないが、中世上州街道の一つであったものであろう。

神社から少し歩くと自治会館がある。

立派な自治会館だが、同和施設ではない。

無論、掲示物に同和だの人権だのといったものはない。

柏原でもかつては水平社運動があり、世良田村事件にも関わったというが、以降は水平社運動や部落解放運動の類は盛り上がらなかった。

もともと農業が中心で比較的土地を持ってる部落だった上、戦後の農地解放でさらに土地が増えた。それらの土地であまり農業は行われず、転売する者が多かったという。

そのためか、新しい家や集合住宅が多い。

部落の南端の墓地を訪れてみた。

やはり、長沢、長澤、東島が多い。他に多いのは大沢、大澤。

宗派はほとんど時宗だが、その中に創価学会や天理教の墓が混じっている。

狭山市は部落問題がからむ狭山事件で有名であるが、解放運動や同和行政はあまり活発とは言えない。ここは見るからに未指定地区である。無論、住民に知られないようにこっそりと同和地区指定がされて公共工事に国の予算が入れられているケースもあり得るが、少なくとも表立って同和事業がされているような痕跡は見えなかった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(293)埼玉県 狭山市 柏原 下宿」への9件のフィードバック

  1. 越智彩夏

    狭山事件の地裁判決によると、石川一雄と東島明に鶏二羽を盗まれ殺害された被害者の家は「柏原1110番地の吉田利」方です。この番地には今でも吉田姓の人が住んでいるのではないでしょうか。

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