学術・研究:部落探訪(213) 千葉県 野田市 親野井 花井戸

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

野田市親野井の部落は「親ノ井」とも表記され、寛永17年に江戸川を挟んで埼玉県川にある西親野井から河川改修に伴っての移住者により始まったと伝わる。最初の移住者は田中彦七であり、その子孫が増えたが伝染病のためほとんどの住民が死亡し、竹沢源太と称するものだけが生存し、その後また子孫が増えていったという。

1935年の記録では20戸、1990年代は57戸であったという。隣の次木なみきと隣接しており、まとめて1つの部落のように見られることもあるが、実際は2つの部落の様相はかなり異なっている。

最初に、八坂神社を訪れた。明治期の記録では、親野井は八坂神社を祀っていたとあるため、それを確かめるためだ。

見るからに新しく、社殿も立派だ。

平成21年に移転したという石碑がある。どおりで新しいわけだ。確かに「親野井 八坂神社氏子一同」とある。

そして、寄進者の姓名が書かれたこの石碑。注目すべきは「飯野」という名字。親野井は南北が飛び地のように分かれているのだが、部落があるのは南側。飯野姓は北側に分布している。ということは、この八坂神社は親野井でも一般地区に該当する地域が氏子になっているのではないだろうか。

社殿の内部。

これが親野井会館。これも新しくて立派な建物である。しかし、ここでいう「親野井」とは親野井の北側を指すのではないだろうか。

親野井の南側にやってきた。1990年代の記録では、リサイクル業、自動車修理業があり、敷地がスクラップや空き瓶の山になっている家があるという。

そして、この部落は明治期は家が密集しており、戦後の農地解放の恩恵をあまり受けなかった。しかし、同和事業の対象となった後は、地域の整備がされた。

これが関宿会館、隣保館である。隣の次木部落とのちょうど中間あたりにある。

部落、同和を思わせるポスターや人KENまもる君等が見当たらないのは、野田市の他の同和施設と共通している。

そして、気になるのは地図にある「親野井香取神社」という神社である。赤い鳥居が見えてきた。

石碑には明治初期に8戸の氏子から始まったと書かれている。そして、「親野井花井戸」と書かれている。つまり、ここの小字は「花井戸」なのだ。ということは、先程の八坂神社は親野井本村のもので、ここは親野井の枝郷、花井戸ということになるのだろう。

しかし、石碑の作りが八坂神社とどことなく似ているので、八坂神社と同じ石工の手によるものかも知れない。

氏子の名字にも特徴がある。ここはほぼ全てが「田中」。「飯野」は見られず、明らかに八坂神社とは氏子が違う。また、明治期の文献の記述はは田中彦七の子孫は疫病でほとんど死亡し、後に竹沢氏が取って代わったと取れるが、これを見ると事実はそうではないように見える。

すると、江戸川の河川改修で西親野井から移ってきたという伝承も含め、明治期の記録は疑ったほうがよいのではないだろうか。なお、西親野井は部落ではなさそうである。

社殿の中ではちょっとした集会ができそうだ。こちらの方が古いが、中の作りも八坂神社に似ているような気がする。

そして、部落の中を歩くと、確かにリサイクル業者がある。ちなみに、自動車修理工場もあった。

そして、敷地に家電製品等が放置された家。家電のデザインが90年代で、夏季に生い茂っていたと思われる植物の枯れた蔓で覆われている。ここは空き家で、何十年も放置されているかのようだ。90年代の文献に出てきた家はここで、当時のまま放置されているのだろう。

文章として書かれていた風景が、ビジュアルとして目の前に現れると、感慨深いものがある。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(213) 千葉県 野田市 親野井 花井戸」への10件のフィードバック

  1. 埼玉民

    埼玉側の親野井には部落はないのですが
    元々は埼玉側にあった部落が河川改修によって
    関宿に丸ごと移転した?みたいなことですかね?
    非常に興味深く拝見しました

    埼玉県白岡市上野田”山中”を探訪して頂きたいです
    全国部落調査には記載されていなかったです

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      埼玉県白岡市上野田”山中”について、何か資料はございますでしょうか?

      返信
      1. 日本の古本屋より

        『山中の昔といま くらし・語り -埼玉県東部の被差別部落のこと-』
        著者:埼玉県部落解放研究会/編 刊行年:2000年

        「山中」は上野田村の飛び地。1971年の戸数は8戸という。

        返信
        1. 『山中の昔といま くらし・語り -埼玉県東部の被差別部落のこと-』

          「日本の古本屋」の同書の紹介に写真が添付されていますが、
          5枚目に部落の略図が記載されていて、範囲が直ぐに判別できます。

          返信
          1. 鳥取ループ 投稿作成者

            写真が確認できないですが。これは買ってみないと分からないでしょうか。

          2. 『山中の昔といま くらし・語り -埼玉県東部の被差別部落のこと-』②

            >>写真が確認できないですが。これは買ってみないと分からないでしょうか。
            示現舎の「弊舎に連絡」の方に資料を添付して送ろうとしましたが、
            送信ボタンを押しても上手く流れていかない様な。。。もし流れて
            いなければ、私のメールに一度メールしていただければ、そちらに
            送信致しますが。

          3. 鳥取ループ 投稿作成者

            すみません、フォームが動かなくなっていました。さきほど復旧させたので、お手数ですが再度送ってみて頂けますでしょうか。

  2. 埼玉民

    最初のコメントをした者です
    近所なので山中の歴史に興味があって
    コメントさせていただきました

    祖父母から聞いた話だと
    山中では草履を作っていて
    用事があって訪問すると
    草履を一足だけもらえる
    もう一度訪問すると
    もう一足もらえる、とか
    そういう気の優しい人たちだと言ってました
    大正から戦中くらいの話です
    ただし、積極的な付き合いは
    なかったような感じを受けました
    自分の記憶の中では
    山中の方々は自動車の解体業をしていて
    畑に廃車を山のように積み上げていて
    子供心に住環境が悪いイメージがありました
    平成初期の話です
    なので純粋に気になって
    その歴史を調べて頂けたらうれしいですね
    長文失礼いたしました

    返信

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