学術・研究:部落探訪(140) 東京都台東区今戸

アバター By 鳥取ループ

今戸と言えば、関東の穢多頭、浅草弾左衛門の居住地として知られ、実際に江戸時代には大規模な穢多村があった。しかし、住民は散り散りになり、スラム化することもなく、戦前には既に部落としては消滅していたと考えられる。

しかし、戦後になってからは、部落外はもちろん、都外からわらわらと自称部落出身者がやってきて、同和問題を口実に行政から利益を受ける行為の拠点となっている。

ここには台東区の台東清掃事務所がある。無論、本来は同和とは無関係な施設なはずなのだが、このような掲示物があるということは、何らかの関係があるのだろう。

これは今戸橋跡。山谷堀という堀にかかる橋だったが、堀が埋められたので橋もなくなった。

堀の跡地の一部は公園になっている。

この都立浅草高校の場所に弾左衛門の屋敷があったという。

ここは今戸神社。白山神社が合祀された。

無論、今戸の町内会が差別されているということはない。

部落探訪の目的は、部落の場所の特定と、歴史研究という面もあるが、筆者としては現状を見ることを大切にしたい。ここは台東区の施設である今戸児童館だ。

ここに解放同盟台東支部が入っていたようなので、児童館の職員に聞いてみると、「同じ建物の中にあるけどこちらは関係ない。3階に行ってみたら」とのこと。未だにあるというのも驚きだが、職員は関わりたくなさそうだ。

児童館の3階は同じ建物なのに入り口が別になっている。まるで解放同盟を入れることを前提に建物が作られたかのように。「台東区同和対策協議会」というそれとは分からない名前の表札が掲げているが、児童館の職員に解放同盟台東支部はどこだと聞いたらそこだと答えたのだから、実態は解放同盟台東支部なのだろう。

「ここは、公用の建物です。部外者の立入及び写真撮影・取材等は固くお断りいたします。 台東区 人権・男女共同参画課」と張り紙があるが、書いてあることの意味が分からなかったので撮影した。

「公用の建物」ということは、むしろ「部外者の立入及び写真撮影・取材等」を断ってはいけない理由になると思うのだがどうか。事実上は「私的」に利用されていて、よほど後ろ暗いことがあるのだろう。

その近くに解放同盟東京都連がある。単に穢多村があったというだけで、明らかに同和事業の対象になるような地域ではないのだが、ここを拠点にしたのはどのような了見なのだろう。

街を歩いても、とても部落には見えない。

ここは旧東京都人権プラザ。既に移転済みで、今は交差点に名前を留めるだけである。

ここは産業研修センター。

この中には皮革産業資料館がある。開館時間も誰もいないが、事務室の職員に声を掛けると入れてもらえる。

このように革製品や靴にまつわるものが展示されており、同和だの部落だのいった展示物はない。

「浅草近代皮革産業と製靴業の祖」として最後の弾左衛門の肖像が掲げられていた。

ここは都営橋場2丁目アパート。かつては入居の同和枠があったという。作りが昭和50年代の改良団地っぽい。

さらに南千住駅へと向かう。

駅の隣の延命寺の首切地蔵。ここに小塚原刑場があった。今戸の部落の穢多は、ここでの役目を担っていたと考えられる。

今戸と言えば、解放同盟東京都連から動画を問題にされた、宅建太郎氏とコラボ企画をやらせて頂いた。ぜひこちらの動画もご覧頂きたい。

学術・研究:部落探訪(140) 東京都台東区今戸」への15件のフィードバック

  1. アバターA

    今戸1-17-6の株式会社オノザキは靴修理材料の会社。これは福島県耶麻郡西会津町野沢下條・原町や栃木県下都賀郡壬生町安塚の部落の小野崎姓との関連があるのではないでしょうか。

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    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      すみません、やっぱり廃集落とか関西の異常で異様な部落でないとテンションが上りません・

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      1. アバター+

        すでに部落として消滅している、という前提で取材するからつまらなくなったのではないでしょうか。「解放令の後、亀岡町の住民の3分の1は弾左衛門の出資で地区外に転出した」という記録はありますが(柴田道子『被差別部落の伝承と生活』83頁)、逆にいえば3分の2は残ったわけです。1941年5月の「東京都同和地区調」には今戸が載っているし、『東京府融和事業要覧』(1938年4月)でも今戸は「数百戸に及ぶ混住地区」とされています。融和事業が行われなかったとはいえ、数百戸という規模は無視できないでしょう。現在も今戸は皮革・製靴関連の会社が目立って多い地区です。

        ・今戸の最多姓は佐藤でも鈴木でもなく小林です。このうち何軒かは、弾左衛門の手代の小林家と関係があるのでは?

        ・今戸2-11-7や今戸1-9-1の石渡さんは水平社の石渡春雄の身内では? 今戸1-18-4の深川さんは水平社の深川武の身内では?

        ・今戸1-2-13の大津屋のルーツは会津若松の祝町部落です。取材の価値があったと思います。

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        1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

          確かにおっしゃる通りでした。今後はどんなに都市化した部落でも痕跡を見つけることを諦めないようにします。

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  2. アバター大阪府人権啓発委員会

    白山信仰はイザナギとイザナギの現世と冥界でのククリヒメによる縁結びの信仰が原点。加賀馬場へ九頭竜湖を越える信濃馬場と美濃馬場を結ぶ「三箇(さんか)馬場道」の山信仰。ククリヒメは巫女。
    稲荷信仰はイザナギとイザナミの子であるウカノミタマ(お狐さん)信仰。京の東寺こと教王護国寺の新義真言宗により空海さんがヒンディーの神であるダーキニーをウカノミタマに当てて祭神とし、神宮寺制度を導入される迄には日本仏教サイドではウカノミタマ=ダーキニー(ダキニ天)で定着化。同じ様な性格を持つ宇佐の八幡様を元とする八幡神社などにも豊穣の神として合祀されていった。神仏衆合のやり方は熊野式で定着化。神明社にも影響。
    法華の教えは仏陀入滅以前と入滅後の末法の世の中に渡り、時空間を越える観世音菩薩の功徳を説いた観音経を含み末法の衆生救済に南無妙法蓮華経の題目を一心に唱えれば成仏出来ると日蓮は説いた。
    親鸞は阿弥陀様は南無阿弥陀仏と御念仏を唱えておれば観世音菩薩が過去や未来の所業を見て、勢至菩薩が心根を見抜く、阿弥陀様は御念仏を信じ唱える善人ならば何人とて極楽浄土へ連れていくと弥陀の本願に就いて説いた。
    神宮寺のダキニ天として派生したお狐さん信仰は神宮寺が氏寺の場合は宗派はあまり問われなかった。
    お狐さんにも白い狐と黒い狐があり、黒い狐のお狐さんには安倍保名、安倍晴明父子など陰陽道などの占いの要素が付きまとう。
    上記の部落にありがちな社寺を考えるに相当古い渡来氏族複数集団の気配がしますね。これらの白山神社や稲荷社などがある割にぞんざいに扱われている辺りからしても白山神社や稲荷社さんよりも新しく到来した人達が仏教に帰依したりして住んでいる例が多いような気がします。現在よく見る仏教宗派の方が新しいですし、今でも檀信徒としてやっている気配に満ちています。
    白山神社や稲荷社や神明社などが有った所に狙って居座っているようにすら見える地区もありますね。あくまでも私見ですが。

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  3. アバター本城淳

    台東区役所に問い合わせたところ、台東区同和対策協議会は、台東区が非常勤職員を雇用して運営しているそうです。 事業実態がわからないので、情報開示請求をする予定です。

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  4. アバターわが町たいとう研究所 本城淳

    台東区同和対策協議会には、台東区同和対策協議会連絡相談員設置要項に基づき、台東区総務部人権・男女共同参画課の非常勤職員が2名(月額報酬17万5千円)が働いています。 ここでの過去5年間の人権相談件数は、H26年17件数、H27年23件、H28年17件、H29年13件、H30年4件でした。 

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    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      今時同促に公金から専従がいるってあり得ないことなんですが。今まで同和問題が激しかった地域とそうでない地域が逆転しているように感じます。

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