学術・研究:部落探訪(101) 奈良県生駒郡平群町若井

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

国会の議事録に出てくる部落名がある。昭和53年10月19日の第085回国会 文教委員会の会議録にはこうある。

○小巻敏雄君 もともと平群中学校の教職員諸君が糾弾を要求されたということの原因は、狭山裁判の再審請求のために若井という部落の子供たちがゼッケンをつけ集団登校をすると、これに対して学校が協力をせよということの要求を履行しなかったというところに始まってるんです。そのときの協力要請の内容については御存じですか。


詳しくはリンク先の議事録を読んで頂ければ分かる。要は、第二次狭山同盟休校の時に、平群中学校の教員が教育の政治的中立性という観点から同盟休校に協力しなかったため、解放同盟から糾弾されたということである。

今の感覚では子供を政治運動に駆り出して、それを教師が止めたら糾弾されるというのは理解できないだろう。…というか、当時の感覚でも十分に異常だった。そのことが現在でも人々の意識に影を落としている。

平群町へぐりちょう若井わかいは1935年の記録では90世帯、600名の部落であったとされる。それが1957年には152世帯736名に増えている。地方都市労働型部落に分類されるだろう。

ここが隣保館だが、ことらさ部落を主張する掲示物は見られなかった。

地区内は整然と区画整理されているのだが、ここではニコイチよりも瓦屋根の持ち家が目立つ。

しかも立派な家が多く、貸付金によるいわゆる同和御殿型の部落のように見える。

もう1つの特徴が、やたら路上駐車が多いことだ。

無論、その中にはナンバーが外され、捨てられていると思われる車も。

持ち家や改良住宅に駐車スペースを付けておけばよかったのではないかと思うが、事業が行われた当時はこれほどまでに自動車の保有率が上がるとは思っていなかったのだろうか。あるいは、道路を駐車場代わりに使うのが当たり前という感覚だったのか。



黄色ナンバーの車高短。ナンバーが見えにくいように細工されている。

こちらは若井集会所で、自治会館のようなものである。

あのような事件があったということで、運動が活発かと思ったら、今ではそのような様子はない。

ただ、非常に事業が活発だったことが地域の様子から伺える。

南無阿弥陀仏の石碑から、浄土真宗であることが分かる。

非常に立派なニコイチ。

空き地は廃墟は少なく、草が生い茂っているということもなく、路上駐車や廃車を除けば部落は整然としている。

これは共同浴場だが、今日は休みだった。

団地形式の改良住宅もある。

寺は本願寺派である。

「新生活実践会」という掲示板があったが、掲示物からはどのような新生活を実践しているのかよく分からなかった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(101) 奈良県生駒郡平群町若井」への15件のフィードバック

  1. .

    天理西中学校事件のその後も興味があります。あのときしゃしゃり出てきたのは、解放同盟奈良県連嘉幡支部でした。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ありがとうございます。確かに、それである可能性が高いですね。

      返信
  2. 大阪万博2025

    非常に興味深く拝見しました。
    是非、部落開放の聖地(w)大阪にもまたおいでください。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      もちろんです。まだまだ大阪は探訪していない場所が残っています。

      返信
  3. 惣兵衛

    フライング気味で申し訳ない。
    あぁ、本町田はあそこですか(笑)

    本町田村明細帳の「村外れ」と言う記載と、
    鶴川街道に交差する「旧」鎌倉街道沿いのロケーションを考えて、
    稲荷らしき所の周辺を調べた事もありましたが、全く確信が持てませんでしたよ。

    墓と住宅図を見る限り、M田姓ですか。

    返信
      1. 惣兵衛

        放送拝見しました。お見事です。
        以前にも書いたような気がきますが、
        天保14年3月の本町田村明細帳(町田市史史料集第2集)には、次のような記載があります。
        ”一 〇〇〇〇村はずれに居住し候
        一 △△隣村成瀬村を相廻り申候
        一 死馬捨場三ヶ所御座候”
        〇と△は伏字ですが、大体想像は付くと思います。
        (巡回してる△の方が非人、〇の方は長吏の軒数まで書いてあるのだと思います)
        要は、白山があってもおかしくないです。
        ”村はずれ”の示す場所は、本町田村と南大谷村の境と言うことでしょう。

        この辺が時宗なのは、府中の称名寺の檀家だからです。
        多分、受け入れてくれる寺が限られていたからだと思います。
        地域の日常での中心は神社ですが、葬式だけは寺ですからね。

        返信
        1. 鳥取ループ 投稿作成者

          関東では非人と穢多の違いってどうだったのでしょうか?
          なぜ非人の村に白山神社があるのかがよく理解できていません。

          返信
          1. イナリワン

            あそこは非人地区では無い
            竹村町の頭の前田姓と八王子の山中姓がいる

          2. 惣兵衛

            本町田は非人村じゃなくて長吏が配置された村です。
            配下の非人小屋もあったことは上で示した文献で判ります。
            『東海道分間延絵図』には、先般の大磯にも化粧坂付近に非人小屋が描かれてます。

            弾左衛門支配の地域だと、(例の溜以外)非人は小屋レベルで分散配置されていたのが殆どではないかと思います。曽屋みたいな所もありますけど。

            ただ、長吏の支配下にあったと言っても非人の方が数が少ないので、
            普通にイメージする様なピラミッド型を成していないはずです。

          3. 鳥取ループ 投稿作成者

            ということは、分類としては穢多村で、その配下の非人もいくらかいたという関係でしょうか。
            また、ここでいう非人というのは無宿者ではなく、刑罰で非人になった人ということなのでしょうか?

    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      凄まじいですね。
      上牧町の同和御殿群もいろいろと問題があったようですし、奈良では同じようなことがあちこちであったのだと思います。

      返信

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