国内最大級、徳山ダム(岐阜県揖斐郡)の見学会ルポ

三品純 By 三品純

岐阜県揖斐郡揖斐川町の山間部に広がる広大な徳山ダム(独立行政法人水資源機構)。総貯水量は66000千㎡で全国1位、堤高の高さは161mで全国3位の国内最大級の多目的ダムだ。8月1日、水の日にちなみ徳山ダムの見学会が開催され、普段は立ち入り禁止の放流制御室、地下通路などが一般公開された。

徳山ダムは、岐阜県、福井県、滋賀県の県境に位置する。岐阜市内からは、車で90分ほど要するだろうか。揖斐川町の深い山道をひたすら北に進む。とにかく山が深く、道は蛇行している。難所だ。横山ダム、そして町営の藤橋城・西美濃プラネタリウムを通過すると、管理事務所とともに広大な徳山ダムにたどり着く。現在、ダムの隣に広がる湖は「徳山湖」と呼ばれるが、これはダム建設によって消滅した揖斐郡徳山村に由来する。もとは、1957年、この地域が電源開発促進法による調査区域になったことからダム建設が検討されるようになった。その後、反対闘争、住民の補償問題など紆余曲折を経て、2000年に工事が着工、2008年に管理運用が開始された。まさに半世紀の時を超えて、完成したダムなのだ。

普通、ダムといえば巨大なアーチ式コンクリートの壁を想像するかもしれない。対して徳山ダムは、中央遮水壁型ロックフィルダムと呼ばれる形式だ。水を遮断する中央の壁の両側を砂利と岩石で覆っている。ダムマニアでもないし、たいした知識もないが、とにかくスケールが大きいことはよく分かる。

さてダム管理所で受付を済ませさっそく見学へ。やはり普段は、立ち入り禁止の貯水池側に入り、ダム洪水吐を見る。夏休みだから見学者は、子連れの人も多いが、なにしろ年に一回ということで県内外のダムマニア、建造物マニアたちもやってくる。マニアの中には、管理事務所で配布される「ダムカード」を目当てにする人もいた。ダムカードには、全景写真、基本データが書かれている。基本的に各ポイントに配置された職員が説明をしてくれる。管理所に勤務する職員たちは、大半が揖斐川町の住民で、毎日、ここまで通勤しているそうだ。ただ決して職員数が多くないため、他の地域の水資源機構の職員も動員され案内に当たっている。そのせいか徳山ダムについては、マニアの方が詳しいこともあった。説明を聞いていると、時折、話にマニアが割ってくる。

「ダムカードでも、ここが大事なんだ」とは、世話好きのマニアだ。カードの右上には、「FNWIP」とアルファベットが書かれている。Fは「フラッドコントロール」(洪水調節)、Nは「ノーマルウォーター」(流水の正常な機能の維持)、Wは「ウォーター」(飲み水)、Iは「インダストリアル」(工業用水)、Pは「パワー」(発電)と、ダムが有する機能を示している。残念ながら現在の徳山ダムは、FとNの機能しか果たせていない。近く水力発電が始まるそうだが、まだ本来のポテンシャルを活かせてないようだ。

またロックフィルダムということもあり、コンクリートダムのような「放水」は行われない。もちろん徳山ダムでも試験放流は、行われるが、例えば黒部ダムのように堰堤えんていから豪快に水が放たれ虹がかかる、という光景は見られない。スケールは大きいが、華はない、そんな徳山ダムなのだ。

「今年からポスターを作ったんだけど、前はHPで告知するぐらいでしたからね」

こう苦笑する職員もいた。私自身、SNSで紹介された見学会のポスターをたまたま目撃して、参加した。観光地としては、とても面白いのだが、アピール不足の感は否めない。

貯水池側から今度は、堤頂長を渡り、地下行きのエレベーターに乗り込む。地下は、だいたい15度ぐらいで夏は涼しく、冬は暖かい。放流を調節するゲート室は、とても幻想的な光景なのだが、残念ながら撮影は禁止。入口付近の雰囲気だけでも味わって頂ければと思う。ゲート室からダム管理所までは、階段でつながっており一周すると一時間はかかるという。階段は、ハシゴのように急な上、濡れているから滑りやすく危険だから残念ながら昇降することはできなかった。

湖底に沈む大火と川渡りの村、徳山

ダム建設に着手する前は、ダム以上に湖の底にある旧徳山村に思いを馳せる。おそらく山間部の村を移転させて、ダムを建設するという壮大な事業は、徳山村が最後かもしれない。徳山村は、揖斐川沿いに転々とした集落があって、村民たちは林業、農業などを営んでいた。藁葺きの家が普通にある、そんな村だ。川沿いのわずかな平地を切り開いて、宅地や農地を作った。川を隔てて畑があることもある。そんな時は、川にワイヤーのロープがつなげられ滑車で向こう岸に行く。ごく普通に高齢者がこの滑車に乗って畑に行く。今の時代では信じられない光景だ。日中はみな山や畑に行くため、村には人がいなくなりたびたび大火が発生した。隣の集落に行くのも大変なので、村営のバスに乗る。限界集落などと生易しいものではなかった。そんな徳山村も今では、湖底に眠る。もしダム建設がなかったとしても、おそらく人々は離れていったかもしれない。

ダム建設では、補償交渉も難航し、反対運動も起きた。当時の住民たちは、おそらく鬼籍に入った人も多いだろう。その一方、ダムによって雇用が増えたと喜ぶ揖斐川町民もいた。果たして徳山ダムを建設してどの程度の効果やメリットがあったのかは、私には判断できない。ただこれだけの壮大なダムを作る技術力には、正直、敬意を抱いている。それは「ダムはムダ」といった公共事業の是非論とは別の話だが。

最後は、ダムからさらに奥に行った場所にある「徳山会館」のレストランでお約束のダムカレー(900円)を食べてみた。このところダムカレーは、各地のダム所在地で提供されており、ライスを高く持って、崩すとルーが流れるという仕組みだ。徳山会館のダムカレーはあらかじめライスが分けられており、皿を土台で斜めにしてルーを流す。するとルーが川のように流れていくのだ。

券売機には「ダムカレーは工事中のため時間がかかります」と注意書きがあったが、その通り、カレーが運ばれるまで確かに待ち時間は長い。しかしダムカレーの放水は、瞬時のことだ。あっけなくもあり、また楽しくもあった。

国内最大級、徳山ダム(岐阜県揖斐郡)の見学会ルポ」への2件のフィードバック

  1. 流し雛

    非常に曖昧な記憶ですがいつも実家に帰るとき鳥取のループ橋を通って帰っていたのですがもしかしてあのあたりの村落出身の方でしょうか
    あの辺りは昔ながらのゆったりとした場所でしたし部落という言い方は不適切ですが集落としてあり、とても素敵な雰囲気であったのを覚えています
    不快に思われたら本当に申し訳ないですが少し気になったので書かせて頂きました
    そして拙い文章すみません

    返信
    1. 鳥取ループ

      岡山との県境の黒尾峠でしたっけ
      懐かしいですがあそことは関係ありません

      返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です