曲輪クエスト(326)静岡県 藤枝市 藤枝1丁目

カテゴリー: 人権探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

戦前の記録では旧藤枝町に39戸の部落があった。その付近、旧西益津村稲川には30戸の部落があったとの記録がある。気になるのは、菊池山哉が「現状は稲川村と全く同一村をなして居る」ということである。

結論から言えば、戦前の記録にある2つの部落は、いずれも現在の藤枝市藤枝1丁目内にあったことが判明した。現地は同和事業の対象となったが、現在は事実上同和地区としての扱いは終えている。

以下は菊池山哉『長吏と特殊部落』からの引用である。

志太郡、藤枝町、益津、□□

○東海道島田の宿を下って、藤枝の町へ入らうとする地に、瀬戸川てふ川がある。その橋袂、ならば大したものであるが、其処から右折して田畝、稲川曲輪に寄生して居る。瀬戸川の堤防は一丈余も高い。川底の方が田畝より高い。その堤防下である。三十戸許り。

○鎮守はない。

○藤枝の町の発展につれて、益津村の曲輪から分遣さして貰ったものであらう。この曲輪を藤枝の方で、益津村と呼ぶ謂で、現状は稲川村と全く同一村をなして居る。

「稲川村と全く同一村をなして居る」というのがポイントである。

そして、稲川の記述。

志太郡、西益津村、稲川、□□

○東海道を外れて、南方田畝の間にある、西益津村の藤枝町の隣村である。

○白山神、神体は束帯の座像一座、祭日は二月二十二日、餅から旛まで全部白づくめとの事、現在の堂は大正年間の改造で、それまでは小祠であったと云。

○農家であるが、細工場が附く。造りは堂々たるもので、密集ではない。二十戸許り。

○志太郡中白山神社を祀る曲輪は、此処だけであるとて、曲輪の人々は、この事を誇りとして居る。而して武田信玄が嘗つて身延山を攻め滅ぼさうとしたが、白羽の箭に当たつて遂に戦死した、その最後に白羽(歯)の痛みを治してやると言つて息絶えた、夫れで白山様は歯痛に利薬があるのだと。訳の解らない伝説を伝へて居る。法華身延の信仰と混線して来たものであらう。各自の家に次の如な門札が張ってある。

樹甘露法雨

南無七面大天女守護攸

煩悩焔滅除

確かに、家に門札があるが、菊池山哉の記録にある文字は読み取れなかった。

「第4自治会館専用駐車場」とある。

そしてこれがその藤枝第4自治会館。調べてみると、もとは藤枝市立益津会館という隣保館だったが、2009年に地元自治会に譲渡されている。

隣保館だった時代には、講座があると館長が「ここは部落であり…」といった説明をしていたという。

自治会館の1ブロック南のこの通り…

実は天保13年藤枝宿図には「穢多小路」と記されている。このことから、この部落が穢多に由来するものであることが裏付けられる。

同和施設が譲渡されているということは、事実上同和地区としての扱いは終えているのだろう。ただ、改良事業で作られたニコイチ住宅等は残っている。

空き家になっているものと、そうでないものがある。このような物が置かれているということは、住民に払い下げがされているわけでもないようだ。

団地形式の改良住宅は「藤枝1丁目団地」で、複数ある。初期のものは昭和46年に建設された。なので、初期の同和事業で作られたことが分かる。

この藤枝1丁目公園のストリートビュー画像を2012年まで遡ると、気になるものが写っている。

地元住民によれば、それは白山堂で、管理する人がいなくなり老朽化していたので取り壊したという。さらに昔は、もっと南側にあったそうだ。これは菊池山哉が記録した白山神であろう。現在は土台の跡だけが残っている。

そこで謎が生まれる。藤枝1丁目は旧藤枝町であった。一方、菊池山哉が記録したもう1つの部落は西益津村。これは現在の藤枝市稲川である。菊池山哉は藤枝には鎮守はなかったという。しかし、この白山堂は最近まであった場所も、昔あった場所も藤枝1丁目内である。

白山神社は稲川にあるこの川関神社に合祀されたという。念のため、稲川でも聴き込んでみたが、稲川では家に日蓮宗の門札など掲げられたことはないという。

これは日蓮宗宗傳寺。この部落の寺であるのみならず、藤枝およびその周辺部落の総本山的な寺である。

墓地を見ると、確かにこの部落だけでなく、周辺部落の名字の傾向を反映しているように見える。

そして、筆者が開発した名字分布分析ツール「マッポン!」による分析結果がこれだ。有料版では最も掲載数の多い2000年の電話帳を利用した分析も可能になったので、ぜひ課金しよう。

これを見ると分かるのは、宗傳寺前の道路を境に、きれいに名字の傾向が分かれている。宗傳寺は昔は現在の道路上にあったということなので、文字通り寺を境に2つの村に分かれていたことが示唆される。

住民によれば実際、宗傳寺を境に部落は「上」と「下」に分かれていた。どちらが上でどちらが下なのかは不明だが、一方が藤枝町で、一方が西益津村稲川に属していた。それがいつしか両方とも藤枝町藤枝に編入され、戦後は一体の部落として同和事業の対象になった。そう考えると辻褄が合うのではないか。

そして、研究者により決定的な証拠が見つかった。『日本実業商工名鑑 昭和14年度版 京阪神廃品版』である。藤枝町の廃品業者が掲載されており、部落の北側に多い青木姓の業者の住所は「藤枝町益津」であり、部落の南側に多い瀧本姓の業者の住所は「藤枝町稲川」となっている。

稲川は本来は西益津村の地名であるが、当時は藤枝町の字として扱われていたのだろう。これで、菊池山哉が2つの部落として記載しつつも、「全く同一村をなして居る」と記録した意味が分かった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(326)静岡県 藤枝市 藤枝1丁目」への9件のフィードバック

  1. 匿名

    日蓮宗宗傳寺。この部落の寺であるのみならず、藤枝およびその周辺部落の総本山的な寺である。

    根拠が希薄!  総本山の意味は?

    #99ade591527e414e4416449942396b7b

    返信
  2. 匿名

    宗傳寺に電話を入れ確認しました
    日蓮宗のお寺らは藤枝市に正應院、大慶寺妙法寺
    など数寺あり、宗傳寺が
    宮部氏の言う
    「藤枝およびその周辺部落の総本山的な寺である」は根も葉もないことである。とのことでした。

    宮部さん  メッ!
    #99ade591527e414e4416449942396b7b

    返信
      1. 匿名

        迷惑電話ではありませんよ。
        迷惑なのは、似非情報を流す宮部さんの方ですよ。
        丁寧にご対応いただきましたよ。
        宮部さんが探訪時に裏どりしないで、似非情報を流すからいけないのですよ  
        メッ
        #99ade591527e414e4416449942396b7b

        返信
        1. 続き

          また、私はお寺に氏名、住所、電話番号等を名乗ってますよ。
          問題は宮部さんの言う
          「藤枝およびその周辺部落の総本山的な寺である」
          が正しいかどうかでありますよ。
          メッ
          #99ade591527e414e4416449942396b7b

          返信
        2. 宮部 龍彦 投稿作成者

          承知しました。もう敗北を認めます。
          該当箇所はこの屈辱を忘れないよう、打ち消し線にしておきます。

          返信
          1. 匿名

            宮部さん
            勝負事じゃありませんよ(笑)
            間違った情報提供は差別を助長したり、情報が独り歩き足ますのでご注意ください。

            #99ade591527e414e4416449942396b7b

  3. トトロ

    個人的には、
    寺の事は
    どうでも良いかな‥。
    間違ってた情報は、 
    訂正してるんだし。
    #426ead3e63a5a6b2165c665a59221615

    返信
  4. 匿名

    マッポンは同和抜きにしても普通に地理院とグーグルの行き来ができるのが素晴らしい
    #0c1f9fa24485c22e4d044a7ebb5f6e6f

    返信