部落探訪(309)静岡県 伊東市 銀座元町

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By 宮部 龍彦

伊豆地方で最大戸数の部落は伊東市にある。中島という部落で、昭和初期の記録では45戸。菊池山哉の『長吏と特殊部落』によれば、町の裏路にあり、鎮守は不明、大半は長屋住まい、日雇いが多く30余戸ということなので、地方都市労働型部落に近いと言えるだろう。

様々な状況証拠から、伊東市渚町にある八幡神社に手がかりがあると推定されたので、まずは現地に行ってみた。

渚町のこの駐車場に車を停めて探訪を開始した。

現在「中島」という地名は残っていないが「近代別荘地形成における敷地取得の実態とその空間的特質に関する一考察」という論文に手がかりとなる記述がある。それによれば、明治末期から昭和初期にかけて現在の渚町辺りが東京の富裕層によって別荘地として買われている。論文ではそれらのうち中島という小字だった場所が地図上に表記されている。それが、この駐車場の周辺だ。

菊池山哉は鎮守は不明というが、関東甲信地方では部落の目印のようになっている白山神社が、静岡県では事情により八幡神社や稲荷神社に変わっている例が多いことから、この八幡神社が鎮守の可能性が高いというわけだ。

昭和初期のものと思われる石柱には氏子の名字が刻まれている。杉本、鈴木といった名字が多いが、一番多いのは堅田?

大変立派な八幡神社だが、伊豆では最大の部落であるし、都市部にあるのでこれだけ大きくても不思議ではない。

隣りにあるのは稲荷神社。

その横に、謎の祠が。

内部を撮影すると、何と南妙法蓮華経が。これは間違いなく日蓮宗と関係ある。静岡の部落は全て日蓮宗檀徒であると言われているので、これは重要な状況証拠だ。

そして気になったのが神社の境内のこの石碑。「頼朝公遺墨碑」とある。

石碑の題字は東郷平八郎によるもの。石碑の裏には「伊東町中島郷民謹記」とある。つまり、これは中島の住民が設置したものだということだ。

すると、この石に刻まれた発起人の名前は、中島の住民のもので間違いない。名字には野田、鈴木が多い。最初は、八幡神社の氏子とは共通性がないと思ったが、よく考えればさきほどの石柱にあった堅田のような名字は「田」の矛の部分が又になっている、野田の異体字であろう。

マッポン!で分布を検証すると、現在の銀座元町に集中している。

そして、この防災倉庫を見ると、現在の自治会名は朝日町であろう。

神社から銀座元町に行くには、この細い路地を抜ける。

路地を抜けた場所には商店街があり、さきほどの頼朝公遺墨碑の由緒が書かれていた。

そして、ここが銀座元町の路地の入り口だ。

もう、ここで間違いないだろう。休業した銭湯があり、かつては長屋が立ち並んでいたとしてもおかしくない街並みだ。

しかし、今は大きな家もある。住民に聞いてみると、今、アパートに住んでいるのは主によそから来た人で、大きな家に住む「野田」さん等が古くからの住民で八幡神社の氏子なのだそうだ。

立地は多賀の和田木と共通するところがある。おそらくは、刑吏の役目を負っていて、近代になってその役目がなくなると、土地を必要としない、日雇いなどの仕事をしており、同様の仕事をする人がここに集まっていたのだろう。

伊東と言えばリゾート地。昭和初期に近くが別荘地として開発されると、伊東の中心部にあるこの部落は観光業が盛んになったと考えられる。

現在はアパートやテナントビルが建つ一方、古くからの住民は農業以外の様々な仕事をしていることが見て取れた。

部落には、メインストリートの他に、袋小路になった別の路地がある。そこは事業所や古いアパートが多かった。

立春大吉という八幡神社の御札から、古くからの家が分かる。ここが部落であったことを知る人に会うことはなかった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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部落探訪(309)静岡県 伊東市 銀座元町」への3件のフィードバック

  1. 朝日町町内会

    間違えた
    こっちや
    君はネット電話帳で破産者マップみたいに有料で削除してんの?
    #72425c1a232c9b47a5d4f228022e1f34

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