学術・研究:部落探訪(139) 山口県光市浅江 高洲

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

光市浅江「高洲」と言えば、山口県では最も有名な部落であると考えられる。もともと砂浜に住宅が密集していたという顕著な立地であったということもあるが、猿回し師の村崎太郎の影響が大きいことは言うまでもないことだろう。

1935年当時は76世帯の部落であったとされる。砂浜であるため普通の農業はできず、雑業や日雇いが主な仕事であった。

途中でポプラ立ち寄り、限界までご飯を詰めた弁当を持って部落へ向かった。

部落は瀬戸内海に面している。砂浜では渚釣りをしている人の姿が見られた。

箱物施設があると思ったら…

これは体育館。同和施設というわけではなさそうだ。

あちこちに大きな団地があり、戦前とは違って何百世帯規模の大きな部落になっている。

ここは猿回し小劇場という観光施設。猿回しを見たかったが、残念ながら今日は休みだった。

郷土史家によれば、江戸時代に浅江に猿回し師がいたという記録はないという。おそらく、もっと新しい時代に萩城下の猿回し師が移住してきたのではないかという。

墓地が見えたので入ってみた。

宗派は明らかに浄土真宗。それよりも気になったのは、砂地に墓があり、海岸製の植物が生えているところだ。舗装した道路の上を歩いていても実感は沸かないが、まさに砂浜の上に部落があることが分かる。

現在の部落に顕著なのは、レオパレス21や大東建託などのアパート。しかも新しく、満室になっているところも多い。近年、急速に住民が流入していることが伺える。

公営住宅も比較的新しいものが多く、同和事業が終わった後の2005年に建設されたものがある。

何か同和施設がないか探していると…

この掲示物はまさに隣保館。実際、ここは今も隣保館という扱いだ。融和が進んでいるように見えて、未だに隣保館が残っているのは意外だった。

雑業が多かった頃の名残か、部落には土建業やスクラップ業者が多い。この塩ビパイプが積まれた設備業者の「マリオ設備工業」というネーミングは狙っていると思う。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(139) 山口県光市浅江 高洲」への5件のフィードバック

  1. 烏野

    山口、長州藩ということは、吉田松陰と同時期入牢していた高洲久子さんを思うのですが…
    関係ありませんよね…

    返信
  2. 香力

    レオパレス銀座もそういえば高洲。組織ぐるみ。不動産屋はよく知っているけど、説明義務から除外されている。

    返信
  3. 文春オンライン《光市傷害致死事件》

    猿回し小劇場のひとつ北の区画(浅江7丁目22-12)で令和4年4月29日に殺人事件発生!
    「ここには他にもヤクザ関係者が住んでおり、地元では治安が悪いと有名な地域ですが、」…
    以下の文春オンラインで詳細が分かります。

    https://bunshun.jp/articles/-/54445

    返信
  4. Jasmina Y_

    2019年7月22日が投稿日になっていますが、2015年から父の介護を始め、2019年2月に他界し、2019年9月には母が他界しました。ここに写っている写真は紛れもない私の母が生まれそして亡くなった場所。私が小学校の頃から慣れ親しんだところ。隣保館は妹が通った幼稚園。アパートは母が亡くなるまで住んでいた場所。母の〇〇家の墓も写真の中の近くにある。そこに唯一ある小さなスーパーも私が子供の頃からあるお店。私の父は村崎一家とも仲が良く、一時猿回し師をして生計を立てていた。

    私は今年70歳。高校卒業後は他県の大学に進学し東京で就職して、今は広島に40年近く住んでいる。

    光市のお寺を検索していたら、偶然このサイトに来てしまった。そして驚いた。私の人生の思い出したくもない思い出がここに出てくる数枚の写真のせいで、一気に当時に引き戻された気分になった。と同時に、未だに「部落」という単語がフラフラと一人歩きしているんだと思った。当時部落解放運動に真っすぐに向き合っていた父を何故か心から応援できない自分がいた。

    小学校の時、毎週部落ごとに下校をするときになって、「高洲部落」として集合するのが何故かわからないけれど嫌だった自分がいた。そして、私たちだけに鉛筆やノートを配布してくれることも嫌だった。

    高校になって同級生の男子と仲良くなって彼の家に遊びに行った。一度目は彼のお母さんが愛想よくてお茶やお菓子を出してくれたが、二度目の時は明らかに態度が冷たかった。その時差別を肌で感じた。その理由を彼に問い正すと、指を4本出した。私はちっとも悲しくなかった。私のほうが冷めた。

    大学を出て、諸事情で一時的に光に帰って仕事をしていたとき、その時知り合った彼の両親からどこの馬の骨ともわからない奴と付き合いはさせられないと言われた。私はそう思う家族もいるんだ。だったらそんな人とは付き合わなければいいと冷めていた。しかし父は何で相手の立場を考えるんだ、差別されているのはお前だぞ、と言った。私は戦いに向いていない。辛いならその場から逃げる。

    また数年経って私のことを思ってくれる男性が現れて結婚まで迫ってきたが、部落のことを話してそれでも大丈夫か聞いたら、すんなり尻尾を巻いて私から離れていった。

    =====
    長々と書いてきた内容は私の人生の前半部分です。そしてそれ以後の私は70歳になるまで強く生きてきました。

    宮部さん、部落探訪となっていますが、あなたは部落の何を写真に収めたいのでしょうか。私が高洲を出てから今日まで外からの人が相当数入ってきています。もう部落というイメージはないんです。写真の撮り方もちょっとね。部落とはこういうところだと見せたいのかもしれないけど、白砂青松の高洲の海は本当に綺麗なんですよ。夕暮れ時に撮ると最高です。夏の海は他県から大勢の人がやってきて花火大会もあります。

    部落のど真ん中で生きてきた私にとって、ヤクザのあんちゃんがいても、朝鮮系の人がいても、そして放し飼いの大型犬がうろうろ歩いていても、部落の中の近所付き合いは現在アパート群に住んでいる人たちより親しかったのです。先に金持ちになった家の人がテレビを買って、まだない家の子たちを呼んでテレビを見せてくれました。

    私が小学生の頃に父が猿回し師になって、子ザルの自転車乗りの練習を傍て見ていて、なんて可哀想なんだろうと思っていました。私は感受性が強かったので、その頃の練習は猿にとっては拷問ですよ。しかも猿は家族全員に慣れません。父に服従させるわけですから、私には口を開けて威嚇してきました。

    =====
    光市浅江「高洲」と言えば、山口県では最も有名な部落であると考えられる。という出だしに、ええそうなの?と初めて知りましたよ。

    できれば今後はこんなマイナーな学術・研究は辞めたほうがいいと思います。生産性がないし、寝た子を起こしてもいいんですが、このような記事を誰が興味を持って読み、それを将来に生かしていかれるのでしょうか。

    返信

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