曲輪クエスト(130) 奈良県御所市柏原北方

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By 宮部 龍彦

御所市柏原かしはら北方きたほうは1935年には260世帯、生活程度は中程度の部落であった。ここは全国水平社の創立者の西光万吉の出身地としてあまりにも有名である。また、現在は水平社博物館があることでも知られる。

ここは人権ふるさと公園。きれいに整備された公園で植栽も手入れされている。

向こうに見えるのが西光寺。西光万吉というペンネームの由来となった浄土真宗本願寺派の寺だ。

公園には、政治的色彩が強い、このような物件がいくつかある。

周囲には多数のニコイチ住宅が。1986年以降という、比較的新しい時期に整備された。

これが水平社博物館。入ってみたが、入館者は筆者1人だった。これは休日であるためで、この博物館では平日の団体客がメインだという。

水平社博物館の展示物で見どころは、やはり水平社関係の文書。水平社同人の住所録はいろいろな意味で参考になる。

また、柏原の住民が奈良県知事に提出した請願書に「 上中北ノ小字ノウチ北方ニ部落中央ニアリ」(打ち消し線はママ)と書かれており、柏原村の「北方」が大体部落であることが分かる。

水平社博物館や、この人権センターは位置的には「中方」にあり、実は部落外に施設がある。

ただ、この川を挟んだ向こう側は北方に該当する。

古代から存在していると考えられる神武天皇社。水平社博物館の隣にある「中方」の神社で、これは部落の神社ではない。神武天皇ゆかりの由緒ある神社なのだが、紀元2600年祭の時にもっと大きな神社にすることが検討されたが、周囲の地主が立ち退きを拒んだため、代わりに橿原神宮が拡張されたのだという。

住民によれば、同和事業についてはもう終わったことで、部落とかそういうことは、もう言わないことにしているのだという。水平社博物館および周囲の派手な物件は、国や御所市が勝手にやっていることで、住民は無関係という認識だ。

これは嗛間ほほま神社。神武天皇の前妻の吾平津媛あひつらひめが祀られている。吾平津媛は器量よしでなかったため、美人が通ると嫉妬するということで、村で結婚式があるときは筵で囲って神様から新婦が見えないようにしたという。この神社も中方にある。

北方を歩いて気になったのは、ニコイチの間に豪邸がいくつかあること。奈良は全般的に大きな家が多いと言うが、それにしてもこれは大きい。

これも水平社同人の記念碑。

近くには保育所があったが、人気がなく、閉鎖されているようだ。

これは改良住宅の集会所。「柏原中」とあるが、位置的には明らかに北方だ。

やはり、部落の中でも持ち家に住んでいる人は、むしろ豊かなように感じる。

これは水平社宣言記念碑、生け垣で囲われて、隠されるように存在しているので、見つけるのが難しかった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(130) 奈良県御所市柏原北方」への13件のフィードバック

  1. 奈良の人

    同じ部落内で御殿に住んでる人とニコイチに住み続けてる人の違いは何なのでしょうか。
    同一部落の住人同士でも格差があったということでしょうか?

    返信
    1. 奈良県民

      こちらで大きい家と紹介されたのですが、こちらは私の曾祖父がある事業で成功した後に建てたそうです。なので、比較的新しいです。
      阪本清一郎さんの家系に入っているからなのかはわかりませんが、色々と部落解放に向けて尽力下さってとても尊敬しています。
      ちなみに小学校では道徳の授業にはかなり力を入れていました。

      返信
      1. 奈良県民

        すいません、地区改良の時辺りの建物なので新しくないです。お詫びと共に訂正します

        返信
  2. とある隣保館職員

    お疲れ様でした。

    政治色が強いとある石碑は五万日の日延の記念碑です。解放令が出された当時の庄屋が部落民に対して、「解放のお触れは出されたけど、五万日の日延が決まったからお前たちはまだまだ賎民のままだぞ」と嘘をついたという故事があり、その五万日が経った日を記念する石碑ですね。

    改良住宅が新しいのは、同和対策事業が終わる間際に建てられたからという話を聞きました。権利関係で揉めて遅れたからと聞いています。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      5万日の日延のことは糾弾地蔵の石碑にも書いてありましたね。
      あれは、どの部落の故事なんでしょうか。

      返信
      1. A

        柏原北方の故事とされています。

        が、もともとは「3万日」であり、「阪本清一郎は祖父から聞いたこのエピソードを友だちの西光万吉や村の青年に語るとき、日のベの日数を語呂がいいので、『5万日の日延べ』と脚色して語ろうと話し合った」(機関誌『水平』)ということらしいです」と藤里晃『部落史・部落問題学習のすすめかた』94ページにあります。「5万日」はそもそも史実ではありません。

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        1. 鳥取ループ 投稿作成者

          ありがとうございます。そういった経緯とは知りませんでした。

          返信
  3. 桓武平氏

    だから何やねん?無味無臭、何の価値もないレポート。やしきたかじんは、次回に出てくるんか?

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  4. A

    解放同盟に遠慮しているためか、探訪記事や動画の内容がどんどん無難になっていますね。

    永久に探訪を続けることは不可能ですし、遠からず何かの口実を設けて「自主的に」やめることになるのではないかと予想。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      タイトル通り学術研究なので、いたずらに過激路線に進むことが目的ではありません。

      返信
  5. いつも楽しみに拝見しております。

    当方三重県在住でありますが、三重県は大規模部落が非常に多い地域でもあります。

    まだ特集ではお目にかかれていませんので、今後の取材等、機会ありましたらよろしくお願いいたします。

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