部落探訪(39)
長野県伊那市手良野口棚沢“後藤の衆”

By 鳥取ループ

部落解放同盟長野県連合会が発行した「差別とのたたかい」には、昭和38年に長野県が政府の委託を受けて調査した部落の一覧が掲載されている。部落の地名のみならず俗称までも掲載されている。当時は部落の地名について、タブーではなかったことがうかがえる。

その中でも目を引くのが、伊那市にある、俗称「後藤の衆」という部落だ。実際に電話帳や住宅地図で調べると「後藤」姓が多く存在する。部落が地名だけでなく、ここまではっきりと姓で呼び分けられている例は珍しい。

「後藤の衆」は、伊那市民にとっては知る人ぞ知る存在のようだ。年寄りの間でその用語は最近まで使われており、後藤君という人がいれば「あの人は“後藤の衆”だから」「最近まで、職場で“後藤の衆”の人と一緒に働いてたよ」といった用法だったようである。

部落問題については南信地方では「寝た子を起こすな」という考えが強いものの、校区に部落がある学校では特別な授業をやっているという。一方、未だに結婚に際しては徹底的に身元調査されることがあり、「在日」だったりかなり警戒されることは間違いないそうだが、「後藤の衆」だったらどうなるのかはよく分からない。




伊那市の部落の詳細は伊那市史から知ることが出来る。伊那市での同和行政の歴史は以外に古く、昭和28年のローカル紙(伊那タイムス)に「部落民は貧しく、卑しく、気が荒く、村民から恐れられている、凍り餅や干し柿を盗んだり、森林盗伐もする。同族結婚が多い」という趣旨の記事が掲載される等の「差別事象」があったことから、昭和34年から市が同和対策事業を始めたということだ。

先述の「特別な授業」について調べてみると、伊那市立手良小学校では部落解放同盟棚沢支部長の後藤一男氏が、「被差別部落の当事者に学ぶ機会を取る」ために教員に対する講演を行っている。そして、今年は部落解放同盟棚沢支部に42万円が支出され、他にも棚沢集会所の管理費、社会教育、生活指導といった名目で年に300万円程度が同和行政に支出されている

南信地方でも、未だにこれだけの同和行政が行われていることは興味深いことだ。

これが、同和事業で作られた棚沢集会所。一部建て増しされた箇所があるが、伊那市史に掲載された写真そのままだ。

一見すると同和施設とは分からないが、中を覗くと「さべつをなくしあかるい未来」という手作りのポスターがある。この集会所には、伊那市から管理費として年間17万3000円が支出されている。

しかし、辺りを見渡せば普通の農村で、周囲の村と比べても何の違和感もない。違いと言えば、「後藤」という表札の家が多いくらいだ。

手良野口は萱野高原の麓の扇状地の傾斜地にある。伊那谷と南アルプスを見渡すことが出来る。

なぜ、「後藤」姓が多いのか、理由はよく分からない。伊那には「藤」のつく苗字は少ない。後藤とは藤原氏の後裔(子孫)という意味であり、もしかすると都から追放された貴族が起源なのかも知れない。

住民の1人である老人から話を聞くことができた。

「今はもう言う人はいないけど、ここは被差別部落だった。10年位前は12~3軒あったけど、今は7~8軒だけになってしまった」

このように、ここ最近のうちに、どんどん人が出ていってしまっているということである。これは部落に限らず、伊那市全体で過疎が進んでいる。伊那市の中心部はかろうじて活気を残しているが、それ以外は駅の近くであっても、廃墟となった商店が並んでいるような有様である。

「後藤と言えば藤原氏の子孫という意味だと思いますけど、実際に貴族と関係あるのですか?」

筆者がそう聞くと、

「さあ、親からもそういう話はないし、どういう由来か聞かされたことはないね。伊那では後藤という姓はあんまりないよ」

という答えだった。残念ながら後藤の由来は分からなかった。

部落にはいくつか墓地がある。伊那市史には住民の協力が得られれば墓地を1か所にまとめたいといったことが書かれているが、結局まとめられなかったようである。こちらの墓地には古くからの庚申塔があるが、後藤と他の姓の墓が混在している。

一方、こちらの墓地は後藤だけであった。墓石には屋号が書かれており、姓だけでは分からないので屋号で呼び分けていることが伺える。

部落探訪(39)
長野県伊那市手良野口棚沢“後藤の衆”
」への8件のフィードバック

  1. 名無しのプログラマー

    >後藤と他の姓の墓が混在している

    後藤の他にはどんな姓がありましたか?

    返信
  2. 20代会社員

    初めまして。
    鳥取ループさんの部落探訪は勉強になります。
    私の住んでいる地域はまだ部落差別が残っており、
    ただ若い子でも知っている人と知らない人の差が激しいです。

    他の県は分かりませんが、私の住んでいる県では部落にもレベルがあるようで
    部落の中でもこの地域はどぎついなど言われます。
    なぜどぎついと言われるのか、ここは部落やけどまだ安心など言われるのか、理由を知りたいです。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      それは、各所にある部落がひとまとまりではなく、別々のものだからです。
      例えば、『滋賀の部落』には草津市の西一と新田は隣り合う部落なのにも関わらず、西一は一般住民以上に新田を見下しているという記述があります。
      それは、西一が藍染の部落で比較的裕福である一方、新田は部落というより流れ者によるスラムを起源とするということが関係しています。

      返信
      1. 20代会社員

        なるほど、そういうことなんですね。納得です。

        子供の時、同和教育について学びましたがよく分からず過ごしてきました。
        20歳くらいになってから両親や友人から部落のことについて色々言われるようになり、ここ最近自分の住んでいる県について調べるようになりました。

        私の住んでいる町は部落ではないのですが、少し離れた隣町何箇所か大きい部落があり
        そこはきついなど言われておりました。
        見た目だけでは一概には言えませんが、貧富の差は激しいと感じます。

        ちなみに鳥取ループさんも訪れたこともある 徳島です。
        徳島は徳島市を皆市内と言います。 市内にも何か所か部落があり、不動は一番有名です。
        不動について少し調べました。
        今も続いているか分かりませんが、数年前の情報です。
        お偉い人?が亡くなった場合、家族の代表がお通夜に行かなければならないそうです。
        それから市内の中でもここの小学校は学力が低いようで、放課後無料で勉強を教えてくれる日があるそうです。

        また10年~15年以上前に 肉屋?食肉センターで 殺傷事件があったそうです。

        返信
        1. 鳥取ループ 投稿作成者

          不動東は大きな部落ですね。確かに貧富の差は大きそうです。
          肉屋の豪邸があったり、市営住宅のガレージから高級車が出入りしていたりしてました。

          偉い人が亡くなると、家族の代表が葬式というのは、部落に限らず田舎ではありがちではないですか?
          お通夜というのはあまり聞かないですが。

          返信
          1. 20代会社員

            皆がよく通る車道以外は通るなと言われており、高級車があったりなどは知りませんでした。 
            鳥取ループさんが書かれてたように普通の人はなかなか住めない住まないそうです。
            不動は徳島のなかでもガラが悪いとかで恐れられている地域です。

            不動を川で挟んだ反対側も部落なので、もし徳島に来ることがあれば調査お願いします。
            鮎喰・島田にある部落です。
            島田にはえんぴつ塔と呼ばれる住宅があります。
            徳島市のなかでも不動につぐ2番目に大きい部落だと思います。
            鮎喰は徳島県下で最初の識字学級が誕生したところだそうです。

            機会があれば宜しくお願いします。
            いつも応援しています。

          2. 鳥取ループ 投稿作成者

            不動は、部落の方からもそのように聞いています。イメージアップに努めるべきですね。
            島田のえんぴつ塔というのは気になりますね。具体的な場所は分かりますでしょうか?

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