部落探訪(38)
兵庫県たつの市新宮町仙正

By 鳥取ループ

前回訪れた、段之上は南部だけが部落であるが、さらに南に歩くと仙正せんしょう部落がある。つまり、2つの部落が隣接している。

部落解放同盟の片岡明幸副委員長は、全国部落調査事件の裁判で提出した陳述書で、旧新宮町の同和地区出身であることを述べているが、地名は伏せられているもののその記述が詳細であり、なおかつ横浜地方裁判所相模原支部が、裁判の当事者は誰も触れていないにも関わらず、その地名が全国部落調査に掲載されていることを認めたため、奇しくもそれがこの仙正であることが明らかになった。

1935年の調査では世帯数は112、人口は601とある。当時の主要産業は農業と、かますむしろという藁製品だったようである。


しかし、片岡明幸副委員長の陳述書にある通り、現在は食肉業が顕著である。民間の碓井食肉センターがある他、写真を撮り忘れてしまったが、公営のたつの市新宮食肉センターがある。

陳述書には「関西では、食肉産業に関わるものはほとんど同和地区住民でしたので、一般的な社会認識として「肉屋は部落民」と理解されていました」とあるが、少なくともたつの市に関しては仙正だけが顕著で、隣接する段之上が建材業者が顕著だったのに比べると、明らかに2つの部落で主要な産業が違うことが見て分かる。

地元住民によれば、仙正で食肉産業が盛んになったのは戦後のことだそうだ。すると、1935年の記録は正しいと考えられる一方、文献を調べると仙正の食肉産業の歴史はかなり長い。

現在の新宮食肉センターは明治初期からの歴史があるようで、もとは「石井安右衛門」という人物による私設の屠畜場だったのが、大正2年(1913年)に当時の越部村が買収したことにより公営となった。しかし、公営になったとたんに利用料が大幅に値上げされたため、1917年に利用者が料金の返還を求めて神戸地裁姫路支部に訴え出た。この訴訟には仙正の住民7名が原告として名を連ねている(ちなみに「碓井」という姓が見られる)。これだけでは、仙正の住民のうち、どれだけが食肉業に関わっていたのかは分からないが、ともかく明治の頃から仙正に食肉産業があったのは間違いない。

こちらは、教育集会所と隣保館。1966年に設置された。

1964年の記録では、世帯数165とされている。2010年の国勢調査では世帯数148,人口452であるから、数字を見ればやや過疎が進んでいるようだ。ただ、行政区画の境界と部落の境界は一致しないようなので、実際の仙正の範囲は仙正という地名の範囲よりも広い可能性もある。

地区内には空き地と廃墟が目立つ。

しかし、仙正は立地としてはかなりよい場所にある。盆地の真ん中にあるので日当たりがよい。

水利も申し分なく、さらにたつの市の防災マップを見ると、洪水の危険性は比較的低く、むしろ周囲の一般集落の方が危険性が高いことが分かる。部落というと、条件の悪い場所にあると思われがちだが、仙正にはそれが当てはまらないのである。

住民に聞いても、部落のはっきりした由来は分からない。

ところで、片岡明幸副委員長が言っている、ホルモンの行商をしていたという肉屋は現在でも存在しており、それどころか、兵庫県内に複数の店舗を構える地元の名物店となっている。しかし、「寝た子を起こすな」という考えのようで「(その会社が)部落だとか、そういうことを書くなよ」と言われているので、書かないことにする。読者におかれては、推して知るべしである。

筆者も、寝た子を起こすなということであれば、それはそれでよいと思う。ただ、ある時は寝た子を起こせと言っておきながら、都合が悪くなると部落を隠せという、二枚舌が嫌いなだけだ。

今となっては、従業員はほとんどは部落外の人間ということだ。兵庫県内の他の同業者にしても「食肉産業に関わるものはほとんど同和地区住民」ということはないという。

ニコイチ住宅があるが、いずれもかなり古いものだ。やはり、新規入居者の募集はしておらず、そろそろ耐用年数を過ぎていると考えられる。

部落差別はあるにはあったが、昔の事と地元住民は語る。そして、若い人と年寄りの間で考え方の違いがあるようだ。同和事業が行われたころは、部落の児童生徒だけ特別な学習会があったので、学校で誰が部落の子供か分かるような状況があったという。今ではそのようなことはないが、それでも特に隣保館は部落の目印になっていることは否めない。

「隣保館は教育委員会の天下り先になっているから、あんな物はなくせばいい」

ある住民は語るが、老人を中心になくさないで欲しいという人もおり、今のままになっているという。

古びた倉庫のようなものがあると思ったら…

農機具の共同倉庫だった。銘板に「昭和47年度地方改善事業」と刻まれている。地方改善事業というのは、要は同和事業の1つである。

寝た子を起こさなくても、一度刻まれた歴史は消えないものである。

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