
学術・研究:部落探訪(124) 福島県会津坂下町 塔寺大門“塔寺二区”
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1921年の記録によれば、会津坂下町には41戸の部落がある。1935年の記録では34戸で食肉、皮革、草履づくりの仕事をやっていたとされる。無論、同和地区指定はされていないが1963年に国からの補助で同和事業が行われたとさ […]
1921年の記録によれば、会津坂下町には41戸の部落がある。1935年の記録では34戸で食肉、皮革、草履づくりの仕事をやっていたとされる。無論、同和地区指定はされていないが1963年に国からの補助で同和事業が行われたとさ […]
1935年の記録によれば西会津町下條(しもじょう)原町(はらまち)に13戸の部落がある。草履や革製品を作っていたとされる。しかし、様々な文献や地図や航空写真を見ても手がかりがない。
福島県で最も有名かつ最大の部落が、会津若松市西七日町にある。西七日町全体が部落というわけではなく、国道252号線の南、JR只見線の線路から西福寺にかけての細長い区域が部落である。 1921年の記録では95戸、1935年の […]
東北には部落はない、あるいは東北はもともと全体が部落のようなものと言われるが、実際は東北にも部落があるとされる。今回訪れたのは福島県白河市。1935年の記録では「下町」という9軒、61戸の部落があったとされ、革、食肉が主 […]