曲輪クエスト(119-2) 東京都八王子市緑町

カテゴリー: 人権探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

この部落は以前に探訪したつもりだったが、敗北していいたことが判明し、研究者によって正確な位置が特定されたので再探訪した。

結論から言えば、その場所は現在の八王子市小比企町ではなく、八王子市緑町が該当する。

1935年の記録では由井村小比企、戸数19とある。『部落問題・水平運動資料集成第3巻』には地区名として「下村」と書かれている。職業は農業と履物。

前回の敗因は、現在の小比企の地名にこだわり過ぎたためだ。今昔マップを見ると、過去には上小比企、中小比企、下小比企、北小比企の地名が見られ、その範囲は現在の小比企町に比べてかなり広い。今は小比企ではなくても、昔は小比企だった場所があることを考慮しなければならない。

なおかつ、その中から部落を探索するのであれば、中心部ではなく、辺境地域に着目するべきであった。部落は村外れに位置することが多いからである。

例えば、この「姫龍神」は現在の八王子市緑町にあるが、ここが字小比企であったと書かれている。今昔マップでも緑町が北小比企であったことが確認できる。そして、明治時代には「永作」という小字名が確認できる。

その永作の場所がここ。道路が狭いということに注意する看板が立っている。

画像

小比企の永作という地名について、国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると、川幡一郎の『片倉物語』に、永作の出身者が「人の嫌う部落の人達」であることを匂わせる記述が出てくる。

研究者によれば、現地で聞いてみたところ、確かに差別された村との伝承があったとのことだ。

この建物は上階はアパートになっているが、地域の集会所だという。

部落のメインストリートの細い道から、さらに細い坂道に入ると、さらに特異な風景を見ることができる。

舗装もされておらず、林の中のような場所に家々が建っている。確かにここは明治時代の地図でも家があることが確認できる。関東の部落でしばしば見られる、まさに隔絶感のある立地だ。

GoPro MAXを使い、VR動画を撮影した。これで、現地の雰囲気を体感して欲しい。

家々の間に墓地がいくつかあり、それらは時宗のものである。時宗は多摩地域の部落の特徴だ。主な名字は「村下」。

マッポン!で村下の分布を分析すると、確かに旧小比企村永作の辺りに集中している。

もはや状況証拠的には確定のような気もするが、さらなる証拠を見つけたい。

菊池山哉の『長吏と特殊部落』にはこう書かれている。

○ここは相原曲輪と八王子城の中間である.往還の外には、附近に古跡はない。
○白山神、神木として径三尺位の杉の大木がある。
○農家四十戸ばかり。
○武蔵七党の随一横山党の本貫は、「和名抄」川口郷、乃ち後の八王子町附近である。今の八王子の出来たのは,天正十八年元八王子城の落城直後であるが、八王子町には、既に曲輪の設けは無い。矢張り小比企と相模は、小田原北條氏の元八王子築城当時のものと考へる事が妥当性が多い。

目印は白山神社と杉の大木。白山神社については、明治時代の地図には神社記号が見える。

戸数については19ではなく40ばかりとあり、もっと多いということになる

神社といえば、このような祠があるが、これは明らかに稲荷神だろう。

これも稲荷神。さきほどの姫龍神に似ているが、実際、同じ人が作ったものだそうだ。ただし、比較的最近のものであって、近世からの伝統的なものではない。

さらに、メイン通りから脇道の階段を登ってみた。

そこはやや高い場所で墓地になっており、谷のようなところにある住宅地を見渡せる。ここも昔から住宅があった場所だ。

降りてみると、細い路地のある場所に住宅が密集している。家を数えてみると、ここだけで15, 6戸くらいある。他の場所の家の数も足し合わせると、菊池山哉が記録した40戸という数字が妥当であるようだ。

ここには緑町公園がある。近所の詳しい方によれば、もとは畑だった場所で、周囲の5,6軒が所有していたのだという。それが戦後宅地開発が進んだとき、不動産屋が欲しがっていたのだが、住宅が増えて騒がしくなることを懸念した住民らが、当時の八王子市長に掛け合って、市に買い取ってもらって公園にしたのだという。

さて、白山神社はどうなったのか。探訪を続けていると、車が止められている脇道が気になった。

その脇道の階段を登り、奥にあるのがこの祠だ。

そこにカメラのレンズを差し込んで撮影した写真がこれである。錆びた銅鏡の奥に白山の文字が見える。これは間違いなく白山神社だ。菊池山哉が記録した白山神社は、何と現存していた。

しかも、その場所は明治期の地図の神社記号の場所に一致する。

白山神社の場所は緑町公園と民家の間にあるが、この場所は八王子市に売られなかったという。そして、古くから住む住民によれば、確かに神社の脇に大木があったという。しかし、公園ができる前には切り倒されてしまっていたそうだ。

もう1つ気になったのが、矢野という墓石。矢野と言えば浅草弾左衛門の姓であり、その近くに白山神社があるとすれば、関係を推測してしまうが、実際は関係はないそうだ。これは東北がルーツの矢野であって、ある男性が比較的新しい時代に部落に移ってきて、この地の女性と結婚し、もとの名字を名乗ったものだそうである。

緑町公園の南側にはカトリック八王子教会丸山墓地がある。八王子にカトリック信仰を伝え、部落解放運動との関わりも深い山上卓樹の墓もここにある。

今度こそ勝利と言えるだろう。無論、東京の部落なので未指定地区である。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(119-2) 東京都八王子市緑町」への21件のフィードバック

  1. 松本亙章

     神奈川県人権啓発センターの研究・調査から、『死牛馬の解体』による『河川への血液の流出・強烈な腐敗臭の発生を伴う』以外の賤業に就いては、押し並べて多摩の陪落は、他所のようなひどい差別はなかったとされている。それを裏付けるように、八王子浅川河川敷にあった大和田刑場に関わった賤民、またいわゆる警察権を持った長吏の陪落は特定できないようだ。

     城下町八王子には、譜代大名による幕府の屯田兵たる千人同心が配備されており、農耕・戦闘馬も多くいたはずで、商用運搬に供された牛馬を含めると、一般の宿場町界隈より死牛馬の処理機会は多かったはずなので、処理能率からそれなりの戸数があって不思議はない。

     差別の根源は、古今東西、内臓をさばくなど『見て気持ちの悪い』『悪臭を伴う』作業関連でなければ、目くじらを立てて嫌う理由もなかろう。日本人は横並びの気風を美とするので、周りが差別していたら一緒になって差別することが多々あったろう。

    余談・・・現行の『レポート+資料静止画像+動画+コメント可』という、双方向テンコ盛りコンテンツは、問題なく、学術レベルに達していると思います。

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      ありがとうございます
      伊豆の部落もあまり差別はひどくはなかったと言います

      返信
      1. 匿名

        面白い!!久しぶりに面白い記事に出会えた気がします。よく調べられてますね。幼少期まで緑町に住んでました。矢野も村下さんも身内です。写真のお墓や祠も昔はよく世話しました。今思うとたしかに部落感のあるエリアですね…
        #9b0f3056897345d20d811309fa6acdd7

        返信
        1. 宮部 龍彦 投稿作成者

          なんと、身内だったのですね。
          この場所は本当に独特な場所です。
          都内にこんなところがあるのは驚きました。

          返信
    2. 匿名

      八王子市史によれば、粟ノ須 (現在の小宮町)には非人がいて街道の警護に当たっていたようですが

      返信
  2. /

    「部落の場所特定の依頼も歓迎いたします」とのこと。そこで「シリーズ・でっちあげ同和地区」をリクエストします。

    たとえば埼玉県三郷市の例です。三郷市には歴史的な旧賎民の集住地区がないにもかかわらず、1970年代に解放同盟や同和会が支部を設立。市当局と当時の県同対課に圧力をかけ、市内三地区に「同和地区」をデッチあげるとともに

    ・解放同盟支部への活動費補助金支給
    ・支部員の固定資産税の七割減免
    ・同和事業計画の策定と同和予算の計上
    ・市職員への研修の強要

    などを行いました。

    https://www.city.yashio.lg.jp/smph/shisei/shiminsankaku/johokokai/kosaihi/h22_kosaihi/kyoikucho.html

    かつて、上記URLには八潮市の教育長交際費(平成22年度)の12月1日執行分として

    「西澤秀夫(部落開放同盟埼葛郡市協議会副議長兼三郷支部長)御令室様 香典」

    と掲載されていました。ということは、少なくとも2010年12月までは「解放同盟三郷支部」があったと考えられます。

    グーグルブックスで「三郷市 同和地区」と検索すると「議会と自治体」のバックナンバーが一部読めます。これこそ同和団体による「公金チューチュー」すなわちエセ同和行為です。
    #3af87f69946e33f7baad2ff31f12ac27

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      リンクが切れています。もしかして消されたのでは。
      三郷市のエセ同和地区の特定、確かに興味深いテーマです
      まずは当該『議会と自治体』を読んでみます

      返信
  3. どどんぱ

    ×カトリック八王子協会丸山墓地
    〇カトリック八王子教会丸山墓地
    #ec87663253d9fee9f2e96856848b1d9d

    返信
      1. 銀蔵

        この地にはすぐ近くにもう一つ墓地がある。
        そこを調べれば馬絹との繋がりも判ったはずだ。

        学術を謳うには最近雑過ぎる。
        残念ながら完勝とは言い難い。
        #0e2db39498af2cbbbe19b25c0f01af1a

        返信
          1. 銀太郎

            35.648531, 139.331729

            馬絹と十日市場にも繋がっている様だ。

            #0e2db39498af2cbbbe19b25c0f01af1a

          2. 部落タマリ

            宮部さんと伺った時、おばあさんが掃除していた墓地ですよ。

  4. 匿名

    この土地の人間ではないので知識はありませんでしたが、近くに住んでるので良く通る道です。羊や牛がいる農場の明るい道を通ってこの道に降りてくると、山陰になっててちょっと暗い場所ですね。道路も狭くて、ボーッと歩いてると車が迫ってやや危険です。ただあの公園が静けさを守るためだったと考えると、地元の人の愛を感じます。
    #a275215bd9deb328f449f098a0d945b2

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      公園があるし環境は良いところです
      ぜひ白山神社にお参りしてみてください

      返信
  5. 匿名

    近所に住んでいる者です
    今朝も犬の散歩でここを通ってきましたよ

    それで気付いたのですが、緑町公園の内外の雑木林には、本来は自生するはずがない「シュロの木」がたくさん生えていますね
    これらは永作部落の主産業であった、草履の原材料として植えられていたものの名残りなのでしょうか?
    #f9f7efdf9008cc6327f3239dcee99a9a

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      おそらく無関係ではないかと思います。
      探訪していて感じるのですが、最近、部落とは関係なしに関東にシュロの木がやたらと増えています。
      シュロの苗は通常は冬を越せないものだそうですが、このところ暖冬が続いているので、鳥などがばらまいた種がよく育っているのであろうと思います。
      私の近所でもここ10年でシュロが増えました。
      ストリートビューで日付を巻き戻すとよく分かります。

      返信
  6. 地元民

    地元民ですが近くを歩いて、妙な雰囲気を感じていました。
    川の崖から張り出した(不法占拠?)おかしな住宅、ノーヘルで爆走する原付のDQN、少年院、隔離されたような昭和そのもののボロアパート、山の墓地、淀んだ空気感がわかった気がします。

    返信
  7. 緑町住人

    まさにこの緑町の住人(世田谷から引っ越してきて30年経ちました)で、どの写真も見知った風景ですが、住むのには中々いいところですよ。ちかくに小さな牧場(磯沼ミルクファーム)もあったりして。ちなみに「この建物は上階はアパートになっているが、地域の集会所だという。」の建物は、集会所ではないと思いますね。今は何も入ってないですが、昔はユニマートっていう小金もちが道楽でやってるようなコンビニが入ってました。
    #15e31e47e2a8de53c17aaa64baf182e0

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      先日探訪した人によれば、近所の人が集会所と言ってたそうなのですが
      あれは純粋に民間の建物なのですね

      返信