学術・研究:部落探訪(169) 大阪府摂津市鳥飼野々1丁目

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

特定の地名を出されて、そこが部落と言われても、その地名が実際の部落の場所とそのまま一致することはむしろ少ない。今回訪れた鳥飼野々とりかいののの部落も、日頃から部落を研究していなければ、その正確の場所を特定することはできないだろう。

きれいな公園。

そしてお寺。

しかし、最も目につくのは、この場所に作られる予定の、外国人労働者の研修施設の建設に反対する張り紙やのぼりである。

筆者は最初はこの辺りがまさに部落の中心部と思っていたが、現地に来ると明らかに部落の条件からは外れている。例えばさきほどの寺は浄土宗だが、関西の部落はほぼ例外なく浄土真宗のはずである。

この研修施設の予定地は、もとは家2軒分の土地なのだが、それにしても広すぎる。近くの住民によると、もとは大地主の家なのだそうだ。

周辺も大きな家が多い。

1935年の記録では戸数は17で生活程度は下であった。戸数については近いような気もするが、特に寺が浄土宗であることには違和感がある。

改めて過去の航空写真を検討すると、田畑に囲まれた小さな村があるのだが、その西側にさらに小さな村が見える。実は研修施設の予定地周辺は地主の村で、その西側に枝村として部落が存在していたのではないかと考えた。

該当する場所は、道がやや細く、比較的小さな家が多い。ここで間違いないだろう。

ここは同和地区指定されていない。市立の集会所があるが、同様の集会所は摂津市内に約50箇所あり、同和施設とは位置づけられていない。無論、人権だの同和だのといった掲示物はなく、むしろ保守色を感じさせる。

研修施設には、部落・本村関係なく反対しているようだ。そもそも、もはや周辺からも部落とは認識されておらず、様々な意味で融和している。

ネットで検索すると、この辺りに 浄土真宗本願寺派 の光明寺という寺があるはずなのだが、見当たらない。

セブンイレブンの向かいにある、ススキが生えたこの土地。ここに光明寺があったようである。

なお、今回は見つけられなかったために行きそびれてしまったが、研究者によればセブンイレブンのさらに北側の「さくら公園」の一角に部落の墓地がある。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(169) 大阪府摂津市鳥飼野々1丁目」への9件のフィードバック

  1. 音野

    戦後や70年代80年代の航空写真を見ても、
    15程度の枝郷らしきものが確認できますね。
    鳥飼野々は全国部落調査の記録を見ると小作農や商業をやっていたと思われます。
    小作農をやっていた寒村というのは部落に限らずどこにもあると思うのですが、ここが部落といわれた所以や、同和地区指定されなかったのはなぜなんでしょうか。雪駄でも売っていたんでしょうか。

    返信
  2. 陰陽道

    鳥飼野々は穢多村と陰陽師村が隣接していて陰陽師村には小頭がいたと聞いたけど真福寺周辺が陰陽師村なのかな。

    返信
  3. ひで

    鳥養部

    鳥甘部、鳥飼部にもつくる。記紀によれば、垂仁(すいにん)朝に鵠(くぐい)の捕獲とあわせて鳥取部(ととりべ)と鳥養部の設置を記しており、鳥取造(みやつこ)の管掌の下に愛玩(あいがん)用の水禽(すいきん)の捕獲にあたる部が鳥取部、その飼養にあたった部が鳥養部とみられる。鳥養部には馬飼部(うまかいべ)や猪養部(いかいべ)と同じく面に黥(めさき)(いれずみ)された者があり、賤民(せんみん)として位置づけられていたようである。鳥養部を供御(くご)の鳥類の貢納者とみる説もあるが、これは誤りであろう。[加藤謙吉]
    『志田諄一著『古代氏族の性格と伝承』(1971・雄山閣出版)』

    鳥養牧(鳥飼牧、とりかいのまき)は、摂津国島下郡(現在の大阪府摂津市)に置かれた牧。平安時代に左右馬寮が経営した近都六牧の一つで、安威川下流と淀川との間の沖積地に存在し、右馬寮に属した。 wikiより。

    元禄地図では、鳥養野々村は枝郷扱いではない。鳥飼の枝郷は、鳥養中ノ村枝郷として鳥養八町村があった。
    鳥飼牧の跡地は鳥飼下にあるため、ここは複雑な差別の構造になっていそうですね。(私見)

    返信
  4. 1979年
    1948年、1975年と共に、国土地理院「空中写真閲覧サービス」の画像を編集加工。

    返信
  5. 山奥P

    質問です

    地名総艦にしか記載されてない部落で他の文献にも載っていない部落の正確な場所はどうやって特定しているんですか?

    (昔の航空写真を見てもはっきりわからずお寺などもない場合)

    古い家が多いからここら辺です。というのはあまりにも主観的で危険すぎる気がします。

    地域住民に聞くんですか?

    あと特に田舎で農業等を仕事にしていない人たちはその地域に居て差別されるぐらいなら、戦後に周囲の人たちが都市に行くのに倣って出て行ってほとんどその地域には残らない気がするんですがどうですか?

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      家の戸数と名字が主な手がかりです。過去の航空写真で家の数を数えて、全国部落調査の戸数と一致する集落を探します。
      あとは宗派。多摩であれば時宗、神奈川・静岡は日蓮宗など。
      まれにですが、地元の方から情報が寄せられることもあります。

      返信
  6. 鳥飼の牧

    この部落出身の現代の筆頭は元摂津市長の村山内閣の郵政大臣、井上一成氏です。

    返信

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