学術・研究:部落探訪 (135)山口県岩国市玖珂町同道・柳井田下

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

玖珂町くがちょうの柳井田下、同道には部落があったとされる。1935年当時の戸数はそれぞれ53,12で、生活程度は極端に悪くはなかったようだ。筆者は研究者と共にその地域を探訪した。

この 玖珂総合センター から探訪を開始する。これは旧玖珂町時代に建設された総合福祉施設で、中には図書館もある。同和施設ではなく、当初から全ての町民が恩恵を受けられる施設として建設された。

その近くに同道がある。研究者によれば、旧玖珂町で部落として知られているのは柳井田下だけで、同道が部落との記録があることは初めて知ったそうだ。ここは地元では部落とは認識されておらず、むしろ豪邸が多い。

この肉屋は、旧周東町の上久原・下久原から進出してきたもので、旧玖珂町の部落に食肉産業はない。

このような豪邸ばかりで、本当に部落なのかと疑ってしまうが…

「同道公会堂」があり、確かにここは同道だ。

この川を挟んだところが柳井田下で、ここは確かに部落と言われているという。

川沿いの臭突のある長屋は鹿田住宅という市営住宅。昭和46年に建設されたもので、かなり老朽化している。空き家が多いので、既に新規募集はしていないと考えられる。

山口県は全国でも、藩政時代の公文書がしっかりと残されていることで知られる。特に圧巻なのが「防長風土注進案」という文書で、これは税の徴収のために作られた文書で、山口県内の各地の賤民を含めた身分ごとの人口が記載され、江戸時代の身分構成を知るための重要な一次資料となっている。

さきほどの玖珂総合センターの図書館にも所蔵されていた。その本には「防長風土注進案と同和問題」という小冊子が付録としてくっつけてあり、資料を差別目的に使ってはならないことと、江戸時代の賤民と部落問題の関係について詳しく解説されていた。

しかし、よく考えてみると、古文書を差別目的に使おうという考えのある人は、 江戸時代の賤民と部落問題の関係 について既にある程度は理解しているはずで、付録の存在により、さらに部落特定のための知識を増やすだけのように思う。また、逆に何も知らなかった人は、付録の存在で差別目的に利用するという発想を知る事になってしまいそうな気がする。

ただ、研究者によれば、 柳井田についてはなぜかほとんど記録がないという。柳井田下に賤民が住んでいたという記録もなく、山口県文書館で調べてもその理由は分からなかったという。

何らかの理由で記録が破棄されたということも考えられるが、実は柳井田は原野のようなところでほとんど人が住んでおらず、比較的新しい時代に人が移り住んで来たのではないかと研究者は見ている。

そして、住民の名字から推定すると、おそらく旧周東町の下久原の部落から移住してきた人が相当数おり、そのことが部落とされた理由ではないかという。

いくつか廃墟が見られるが、これは自動車が入れない細い道にしか面していない場所で、不便なので人が出ていってしまったのではないかと思われる。

こちらは柳井田下の自治会館。人権標語が掲げられているが、こういったものは岩国市内では一般地域の公民館でも普通に見られる。

玖珂町も同和事業を行い、同和予算が計上されたが、少なくとも現在は同和行政は行われておらず、同和地区との扱いはされていない。

こちらは玖珂駅の近くにある西本願寺派の寺。この場所は柳井田下からも同道からも離れており、部落ではないが、柳井田下の住民はこの寺の檀家なのだという。

それだけでなく、何らかの歴史的理由で旧玖珂町および旧周東町の部落が檀家になっているのではないかと研究者は見ている。

柳井田下の墓地も、離れた場所の山林の中にある。

古くから浄土真宗であったことが分かる。

ただ、南妙法蓮華経と書かれた墓石もあり、その傍らにある古い墓石は浄土真宗であることから、日蓮宗系の宗派に変えた家もあるということだ。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪 (135)山口県岩国市玖珂町同道・柳井田下」への7件のフィードバック

  1. A

    下朴を「しもぼく」と読むのは不自然ですね。地元の人は本当にそう発音していましたか。「しもほおのき」ではないかと思います。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      すみません、調べたら確かにほおのきでした。
      お恥ずかしい限りです。

      返信
  2. 1ファン

    創価学会員の墓にも戒名はある方が多い。彼らは宗門と断絶するまではそれぞれ所属の日蓮正宗寺院の檀家でもあった。普通の寺と檀家の関係でした。当然、戒名もあり、他の日蓮宗系と同じで院号や稀には日号ももらっていました。これは事実です。

    返信
  3. 中世史愛好家

    >> 何らかの歴史的理由で旧玖珂町および旧周東町の部落が檀家になっている
    のではないかと研究者は見ている。

     単純に長州藩域の部落寺院は照円寺・西福寺・照明寺・聞光寺の4つしかない
     と言うことではないのでしょうか?その玖珂駅前の正光寺は明治5年(1872年)に
     聞光寺が改称したもの。

    返信
    1. 中世史愛好家

      『長州藩部落寺院史の基礎的考察』 布引敏雄より

      ・玖珂郡の聞光寺は『山口県寺院沿革史』によれば七カ所に「説教所」を置いていた
       (注36)
      ・(注36) 七カ所の道場(説教所)は、玖珂郡川下村・同郡柳井町・都濃郡徳山町・同郡
       須々万村・熊毛郡高森町・同郡室積町・同郡浅江村に置かれていた。

       熊毛

      返信
  4. 中世史愛好家

    余談ですが、「同道 (どうどう)」は「百々 (どうどう・どど)」と同じく河川近くによくある
    地名かと思います。河川の水が流れる音や様を表現した地名。漢字そのものには
    あまり意味が無いでしょう。

    返信

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