学術・研究:部落探訪(54) 群馬県前橋市粕川町込皆戸(後編)

アバター By 鳥取ループ

込皆戸は、上原善広氏の『日本の路地を旅する』にも登場する。同書には地名は明記されていないが、「群馬女子高生誘拐殺人事件」の犯人の出身地ということが書かれているので、少し調べれば分かる。この中にも、タクシー運転手が「あそこはチョーリンボーって言われています。あまり今は言わないですけどね」というシーンがある。

また、同書によれば込皆戸では強盗や議員の汚職等の事件が頻発していたそうだ。

部落の北側にはロケットの形をしたすべり台がある、広い公園がある。ここにはBB弾が多数散らばっているので、普段どんな遊びが行われているか想像がつく。

ここは「粕川村西部総合運動公園」という名前であり、同和事業で作られたというわけではない。今日は寒いためかあまり人はいなかった。

ここからは赤城山がよく見える。

公園の近くには児童館がある。

さて、『日本の路地を旅する』には「群馬女子高生誘拐殺人事件」の犯人の坂本正人の後輩が手伝っていたという部落の食堂が出てくる。その食堂に行こうとしたが、残念ながらそこは家庭内の事情により閉店してしまったということだった。

隣の焼きそば屋も今日は休みだった。仕方がないので、別の店に入ることにした。

そこで「チョーリンボーって知ってますか?」と聞いてみると、

「言う言う。例えば美人な人が結婚したりすると、年取った人が、でもあれはチョーリンボーだからみたいなことを言うの。でも、そんなこと言っていると友達なくすよ。老人ホームなんかでも自分の生まれを自慢するような人は嫌われるでしょ」

そのお店は20年ほど前に県道沿いにいい土地があったからそこを買って開業したそうで、「チョーリンボー」ということは考えもしなかったそうだ。込皆戸が部落ということは後で知ったということだが、「カマス」や「部落解放同盟」について聞くと、知らないと言われてしまった。

ただ、「群馬女子高生誘拐殺人事件」の犯人のことは新住民の間でも有名らしい。

「2年ほど前、その犯人のお父さんが夫婦喧嘩で奥さんを殺して、捕まったんだけど、牢屋の中で死んだって」

やはり、5ちゃんねるで言われていた通り、2014年に傷害致死事件を起こした坂本嘉根央は坂本正人の父親として地元では有名だった。さらに、坂本嘉根央が獄中死していたことは初耳である。

しかし、後に分かるが、地元でそう言われているだけで、坂本嘉根央は坂本正人の父親ではない

「どうして、込皆戸では変な事件が多いんでしょうね」

そう聞いてみたが、

「分からないね。偶然じゃないかな」

と言われるのみだった。

坂本嘉根央が住んでいた家にはまだ親族が住んでいるということだが、残念ながら会うことはできなかった。

また、ここでも地元の事情通として「小林幸太郎商店」の名前が出てきたが、残念ながら年明け早々だったため、「小林幸太郎商店」は閉まっていた。

仕方ないので、とりあえず部落の中心部に戻ることにした。

部落は空き地や古い家が多いが、これは寂れているというよりも、もともと土地が余っているらしい。昔の航空写真を見ても、住宅は密集しておらず、家は比較的散らばっている。

住民と鉢合わせたので、坂本正人と坂本嘉根央の事件について聞いてみた。すると、意外な事実が判明した。

「道路沿いに坂本組って看板が出ているけど、奥さんを殺したのはそこの社長で、坂本正人はそこの使用人だったんだよ。社長がずっと坂本正人の面倒を見てたの」

何と、坂本嘉根央が坂本正人の父親という噂はガセだった。「親子ではないんですか?」と聞くと、坂本正人の本当の父親は健在で、また別の所に住んでいるという。坂本嘉根央は坂本正人の実の父親ではないが、名字が同じで、面倒を見ていたので父親と誤解され、それが噂として広まってしまった、そんなところだろう。

それはそれとして、別の疑問を単刀直入に聞いてみた。

「失礼ですが、やっぱり込皆戸の住民はチョーリンボーの子孫なんですか?」

「それは、年取った人が人を馬鹿にするために、あいつはチョーリンボーの出だとか、そういうことを言うんじゃないかな。チョーリンボーの意味が何かなんて分からんでしょ。結婚差別なんてないよ、実際俺はよそから嫁さんもらったもん。この村には坂本という家がいっぱいあって、まあ俺も坂本だけど自分の先祖が何だったかなんて分からないし、込皆戸の坂本でもいろんな系統があって、みんなが親戚じゃないよ」

この部落については東日本部落解放研究所による『込皆戸の歴史と生活』に詳しく書かれている。しかし、部落の由来については複数の伝承があるものの、直接的な史料は残されていないということである。

ただ、分かっているのは江戸時代の人別帳に「穢多」とある人が複数込皆戸に存在したものの、込皆戸のほとんどの住民は百姓と変わらない職業と生活をしていたということである。

坂本さんから、UFOキャッチャーで取ったというカービィのぬいぐるみを頂いた。

学術・研究:部落探訪(54) 群馬県前橋市粕川町込皆戸(後編)」への12件のフィードバック

  1. アバター明美

    最後の一枚の写真が意外すぎました。笑
    カービィいいですね。
    鳥取ループさんのリサーチ力は素晴らしい。

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      ありがとうございます。
      実は部落探訪で何かもらうことは他にもありました。
      今回のようにおもちゃのこともあれば、地元の部落の地名と名字をまとめた資料だったりです。

      返信
  2. アバターねこ

    私は粕川村の出身で、1980年から2000年までは住んでいました。坂本、長谷川、は確実に部落民で、顔もよく似ていました。週に1回の道徳の時間は、毎週部落の話でした。結婚差別のビデオまで感想文書いたりしましたね。北原、込皆戸、その下の深津は部落民で、粕川村全体に部落民であふれていました。同級生のほとんどが部落民で、新しきはいった私の家族は逆差別を受け酷い目にあいました。大学の頃実家に帰ると、ほとんどの子が大学も行かずに村で子供を産み、さらに、東京の大学に行った子も、結局村の子と結婚しました。神奈川で、部落民以外と結婚した子も、結局村に帰ってきました。98パーセントの確率で村に帰ります。よそから嫁をもらった話は、きっと、大胡や樋越、宮城村の部落民ではないかと思います。込皆戸、北原に、部落民以外の人が住むなんて考えられませんが、犯罪者や変わった人が、安さから入ってくることはあるのでしょうね。私の家族も、そのような言われ方をしました。もう二度と粕川村に帰ることはありませんが、粕川中の先生や部活の先輩と、すこし連絡を取ることがあります。

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    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      北原も深津も部落というのは本当でしょうか? 『全国部落調査』や『群馬解放 同和対策関係予算額一覧表』からは確認できません。

      返信
      1. アバターいぬ

        はじめまして。私も粕川村出身で75年から85年くらいまで住んでいました。

        昨日ちょうど父と部落の話になりまして(父は隣接する別の村の出身)
        やはり、深津にも一部部落の人がいたようです。
        元は込皆戸の出というのでしょうか。
        私の感覚的には、本当にごくごく一部の人のような気がします。

        北原については、北原という地区があるのかどうか私には分かりませんが
        北原駅は込皆戸にあるので、両者は私の中ではイコールでしたね。
        北原というと、確かにマイルドになる気もしますが。

        大学に進学しないのは部落だからというよりは
        この村全体のレベルだと思います。
        私が住んでいた当時は、ほとんどの人が大学進学をしない高校に行っていましたから。
        込皆戸の人は、ヤンキーというよりは落ち着きのないイメージで、わりと運動神経がいい人も多かったです。

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        1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

          北原はおそらく違うのではないかと思います。地名と集落は別の概念で、1つの集落に見えても内部的には複数のコミュニティに分かれていることがあるので、外から見るとなかなか分からないですね。
          地元の方でも誤解していることが多いのではないでしょうか。

          返信
  3. アバターパク

    こんにちは
    ねこさんのコメントに反発する様な形となってしまいますの先に謝らせて下さい
    すみません

    私は1990年から現在も込皆戸と在住の会社員です
    ねこさんの仰る逆差別の事実を知らないので申し訳ありませんが、私の先輩、同級生、後輩の中には様々な地域から移られた方がいらっしゃいますが、差別やいじめといった事実は無かったと感じます
    皆仲が良く今でも付き合いがあり、たまにある飲み会では、「自分が育った自然豊かな地域で子育てをしたい」と語っている先輩もいらっしゃいます
    差別やいじめがあると地域で子育てしたいと考える方は少ないと思いますので、現在では、差別やいじめは無くなったと思っていました

    また、ほとんどの子が大学に行かずに村内で子を産み、
    東京の大学に行っても帰ってきてしまっているとありますが
    私の同級生は、逆にほとんどが、県外の大学に行き、そこで奥様や旦那様と出会いその土地に根を下ろすと言った方が多いので、地元の仲間がほとんど外に出てしまったので寂しく思っているくらいです
    余談ですが、
    私自身、込皆戸に古くからある家の家長として残っていますので、今から外に出て生活する事はありませんが「地元に帰ってくるとほとんど仲間に会えないけど、パクが残っててくれるから、パク目掛けてみんなで集まろうって出来るから助かる」と言ってもらえます

    よそからの嫁さんを貰った話については、私の祖母や叔母は、前橋や桐生と言った部落地域以外の出身の方です
    当時、差別がまだあった時代に祖母や叔母が嫁に来たというのは、実際珍しかったという話を親戚から聞いた事がありますが、ゼロではありません
    部落民以外の方も込皆戸地域に昔から住んでいます
    現在では、弟の奥さんや私の妻、近所の奥さんも部落地域以外の出身の方です
    たくさんの部落民以外の方が住んでいます
    最近では、畑を持ち余していた方が土地を売ったりしてまして、新築の家もたくさん増えました、そのほとんどが外から移住された方です
    部落民以外住まないという事は決してありません

    ここまで書かせていただいて
    恥ずかしい話ですが、私が「込皆戸が部落地域」だと知ったのは、成人し妻と婚約した時です婚約の際に親から「込皆戸は部落だから相手方の親御さんと彼女に説明した方がいいかも」と言われ始めて知りました。
    まぁ、説明した時は、「そんな事は今の時代に合わないんだから気にする必要なんてない」と怒られてしまいましたが、、、

    長々とすみませんでした
    結論からしまして、私は幼少期の経験からも現在では、部落差別は無くなったと感じていました
    実際、部落地域出身で現在も住んでいる私は、出身地に対して、差別やいじめを受けた事はありませんし、出身地域を隠したり、誤魔化したりした事もありません
    むしろ、自然豊かで地域の取り組みも盛んな込皆戸が大好きなので、胸を張って込皆戸出身だと言っています

    返信
  4. アバターねずみ

    粕川村で生まれ育ち、大学に入るまで住んでいましたが今ではほとんど部落に対する悪いイメージがなくなっていますね。
    確かに中学か高校の頃に、児童館は部落のために建てられたという話を聞いたことがありますが、込皆戸はそういうこともあったのかもしれないのかと話半分に捉えています。
    それだけ、部落だった地域に住んでいる人たちを差別と考える風潮はまったくないものだと思います。少なくとも若者の間では。
    これからも、部落が存在したという事実は記録として認めつつも、禍根は後世に残さないようにしたいものだと思いながら記事を読ませていただきました。ありがとうございます。

    返信
  5. アバター松茸

    何となく訪れて拝見してました。文化とか民俗学に興味があるので勉強になります。
    詳しい方にお聞きしたいのですが群馬県の地域一覧に乗っている地区は全て同和なのでしょうか?
    私の親族はそこの出身で古くから農業です。
    つまり私自身被差別側だったんだなあと知らなかったのですが…
    そう言えば実体験か映像なのか、どこで見たかも定かでないですが子供の頃のおぼろげな記憶に特定の神社のお札みたいのを人が来ると隠していたような?
    まあ記憶なのであてになりませんが。

    返信
  6. アバター🤔

    粕川だと寂れた田舎のイメージしかなかったです。
    上毛電鉄沿線はそういう場所が多い気がします(大胡、新里)
    市の中心部である中央前橋周辺なんかも。
    機会あれば高崎にも取材行ってもらいたいです。

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    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      高崎市は非常に部落が多いですね。無論、機会があれば行きます。

      返信

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