学術・研究:部落探訪(193) 三重県津市愛宕町

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実は前回の相生町の前に訪れていた部落があった。それが、愛宕町である。戦前の記録では290世帯、職業は様々であり、隣の相生町と似たような様相であった。

明治時代は塔世とうせ村の一部で、明治末期に津市に編入、そして現在の名前となった。当時から都市スラムに近い状態だったと考えられ、相生・愛宕といずれも「愛」にまつわる名前が付けられたのは、何か思い入れがあってのことだろう。

ここが津市中央市民館。愛宕町および周辺地区のための隣保館である。

人権関係の掲示物があるため隣保館と分かる。

地区は安濃あのう川の河口近くにある。今度行くときは釣り道具を持っていきたい。

清原公演は、この地域の小字「清原」に由来している。

ここは浄土真宗本願寺派のお寺、善福寺。戦前の地図にこのお寺はないので、もとは道場だったのかと思ったが、寺の沿革を見るともとは安濃川の対岸にあったものの戦災で焼失し、紆余曲折があって現在の場所に再建されたそうだ。

ここは公園。草が生い茂っている。

隣保館を除けば、掲示物に人権、同和を主張するものはない。後で説明する通り、ここには部落解放同盟三重県連合会の事務所があるのだが、少なくとも表面的にはこの地区での部落解放同盟の目立った活動は見られない。

この地区では空き地や家の前に家電製品が山積みにされているのをよく見る。リサイクル業者によるものと考えられるものもあるが、単純に不法投棄されているように見えるものもある。

家電製品の山の向こうの建物の看板をよく見ると、部落解放同盟三重県連合会と書かれている。三重県だと解放同盟が非常に強いような印象があるが、本部の建物は非常に簡素である。

空き家が比較的多い。

この歩道上に置かれた車は物置代わりだろうか?

ここも隣の相生町と同じく、1953年の伊勢湾台風で被災し、その直後に区画整理がされた。道は比較的広く、駐車禁止とされていない場所が多い。

地域の様相は相生町と非常によく似ているが、自治会は別であり、例の自治会長のパワハラ問題は、あくまで相生町の問題である。

この特徴的な形のビル、何かと思って後で調べたら、弘道会系の暴力団事務所だそうだ。

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