【武蔵野市】住民投票条例騒動 “税金ポエム ”自治基本条例が 元凶だ!

カテゴリー: 地方, 行政 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

3カ月以上住民基本台帳に登録され、18歳以上の外国人住民にも投票権を認める東京都武蔵野市の「住民投票条例案」をめぐり議会、賛成派・反対派が紛糾している。同案は今月19日開会の同市議会で提出される見通し。「外国籍住民の投票権」が外国人地方参政権の布石として保守派による抗議活動が続き、一方で左派によるカウンター活動も発生した。「住民投票条例」がクローズアップされたがゆえの騒動だが、実はその元凶とは「自治基本条例」ではないか。「自治」というフレーズは左派、また意識高い市民の琴線に触れるフレーズかもしれないが、その根底に「地方自治万能主義」が蔓延してはいないか。その象徴が自治基本条例と思えてならない。

武蔵野市 住民投票条例案は 昨年の 自治基本条例制定が 布石

他府県の方で東京に土地勘がない方は「武蔵野市」といっても印象は薄いかもしれない。ならば吉祥寺がある市といえば印象度は跳ね上がるのでは? いわゆる革新自治体が並ぶ多摩地域の街、武蔵野市は菅直人元首相の地元でもあり、その支援を受けたのが松下玲子市長(写真)。「全国首長九条の会」の共同代表に名を連ねるあたりでその主張は推して知るべし、だ。

松下市長の政治スタンスからいえば本条例案を推進しても何ら不思議ではない。反対派にすれば寝耳に水の条例案という印象かもしれないが「実は予兆があったんです。昨年の段階で気付くべきでしたが…」と本件を取材する全国紙記者。予兆とは、一部から強く批判されるあの条例だ。

「昨年4月に施行された武蔵野市自治基本条例ですよ。第19条5項に『前各項に定めるもののほか、住民投票について必要な事項は、別に条例で定める』とあります。つまりこの時点では“ (条例がない限り)住民投票はやらない”という解釈もでき、制約になっていました。ならば住民投票条例を出しますよ、というのが今回の狙い。つまり同市、また松下市長からすれば自治基本条例に明記されている以上、住民投票についても条例で定めようという理屈でしょう」(同)

革新系の議員、また関係する学者、意識高い市民の間では「地方の憲法」などと絶賛される自治基本条例。しかしその実態は税金を投じた壮大な“ポエム ”だ。特定市民が好む「自治」あるいは「市民参加」を謳い、単刀直入にいえば声の大きな市民の懐柔策に過ぎない。

そして住民投票の根拠になるのが自治基本条例。

意味は異なるが「庇を貸して母屋を取られる」ということわざで例えればこの場合、住民投票=ひさし、自治基本条例=母屋という関係にある。武蔵野市が昨年、自治基本条例を施行したことは庇どころか、すでに母屋を貸した状態であった。

通常、住民投票は法的拘束力を有する場合と、有さない(住民を意思を示す範囲)に分かれる。武蔵野市の場合は、同市自治基本条例19条3項で解釈する限り、法的拘束力を持たない住民投票だ。また「武蔵野市住民投票条例(仮称)素案」によれば

条例に基づく住民投票制度では、投票結果に法的拘束力をもたせることはできないため、議会と市長は、成立した住民投票の結果を尊重するものとします。

と説明している。住民投票といって直ちに法的拘束力が生じるわけではない。

といってもイデオロギー、歴史認識を孕む問題で住民投票が実施された場合、「法的拘束力」の有無は重要ではない。投票結果よりも「問題意識」が醸成され、また全国に波及する点に意味がある。

あくまで仮の話として武蔵野市内の小学校に慰安婦少女像を設置することの是非――。こんな住民投票が起きた場合、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞あたりが目を血走らせて扇動することだろう。ご希望の投票結果になれば万歳三唱、負けても被害者、弱者、少数派と報じることができる。その結果、起きるのはマスコミが好んで喧伝する市民の「分断」だ。

反対派は「外国人の投票権」という点に関心が集中している。あるいは「地方参政権への布石」という危惧もよく分かる。今月15日に反対派市民は住民投票条例案に対して市議会に「陳情書」を提出したが、遅きに失した感は否めない。もし反対活動を行うならば「自治基本条例」の段階にすべきだった。

自治基本条例で 基地の移設は可能か!?

1997年の大阪府箕面市の「まちづくり理念条例」を皮切りに現在、各地で自治基本条例が制定されている。特徴的なのは旧社会党系、共産党の議員、関係団体、活動家が推進しているだけあって、憲法を意識した前文があること。それは一種のテンプレート文と思しき内容で、なおかつただ“ キラキラ”している。

それから条文は当たり前の文言が並ぶ。武蔵野市の条文を抜粋してみよう。

第7条市長は、武蔵野市の代表者として、市政を総合的に調整し、公正かつ誠実に運営しなければならない。

では逆に「公正かつ誠実に運営しなかった」場合、何らかのペナルティーがあるのだろうか。また何をもって「公正かつ誠実」なのか定義も悩ましい。今回の住民投票騒動を見るに、推進派からすれば公正で誠実に映るだろうし、反対派には不公正で、不誠実と感じるかもしれない。

見方はともかく「公正かつ誠実」というのは首長の心構えとしては当然の話で、当たり前の話をさも憲法の条文のように謳うのが住民自治条例。税金を投じた単なるポエム型「努力目標」である。

ところがそんなポエムも政治性を帯びる場合があるのだ。それが神奈川県大和市の自治基本条例。特に知名度がある訳でもない大和市。ところが同市自治基本条例は左派界隈で注目されている。なぜなら第29条に「厚木基地移転」が盛り込まれているからだ。

厚木基地、公的には厚木海軍飛行場。同基地は海上自衛隊と米海軍が共同で使用する。基地の約8割は綾瀬市に属し、残りが大和市だ。左派界隈に注目されたというのは無論、「厚木基地の移転が実現するよう努める」という一文が盛り込まれた点にある。

安全保障政策と米軍が絡み、敷地のおよそ2割程度の大和市の住民意思が移転にどの程度、反映されるか不明。それ以前に一自治体の主張で移転が可能なのだろうか。同市が発行したリーフレットにはこんな解説が加えてあった。

解説文を見てもらいたい。

「厚木基地の移転を目指すこととしていますが、これが直ちに現在のわが国の安全保障政策に反対を唱えるものではありません」

との補足だが基地容認派に対する“言い訳 ”のようだ。「反対を唱えるものではない」ことを自治基本条例に盛り込む必要があるのか。

ある保守系市議は「厚木基地移転が盛り込まれたことが問題になった記憶がありませんね。それだけ形骸化した条例ということなんですよ」と失笑していた。

また大和市自治基本条例制定当時の土屋侯保前市長に聞いたところ

「厚木基地移転は私が市長以前からの市是でしたから条例に盛り込んだのです。しかし私自身は基地反対派ではありませんよ。将来的に基地が必要なくなれば別の施設に利活用できますからね」

というのが制定当時の考えだという。「基地移設」に対して強烈な信念というほどでもなかった。条例作成に関わった首長自身が基地反対派ではないというのも意外だ。

周辺によれば「土屋さんは地元の地主さんで政治イデオロギーとは無縁の人です」との人物評。基地前でトランジスタメガホンを片手にアジ演説を行う市民活動家あがりではない。首長自体は基地反対でもなく、市の姿勢も「反対を唱えるものではない」という不思議な条文。声の大きな基地反対派に配慮したのは明らか。

市、または一部市民が「基地移転」を望むのは自由である。ただ効力もない理念をあえて条例で盛り込むのは一部市民への癒しとパフォーマンスの領域だ。

(その他、条文の問題点について市に質問状を送付しているので回答は後日掲載します)

住民の意思、直接投票は「民主主義的」なのか

「住民基本条例」で謳われる市民参加、あるいは「住民投票」による市民の直接的な意思表明、推進派はいかにも「市民の意思」が万能であたかも「変革者」のように扱ってはいないか。 そこには「地方自治万能主義」 が感じ取れる。または直接参加に対する幻想というものか。

「市民感覚」「市民感情」とは必ず正常とは限らない。住民意思、市民感覚は「地域エゴ」と表裏一体である。革新自治体の象徴ともいえる同じく多摩地域、国立市で起きた「国立マンション訴訟」は最たる例だ。バブル期に起きた高層建築の乱立により都内各地で「景観保護」を求める声が強まった。国立市でも駅南口のマンション建設計画が景観を損なうとして反対活動が起き、そのリーダー格だった上原公子氏が1999年に国立市長に当選。

上原市政によって「国立マンション訴訟」 は景観保護運動というよりか、いわゆるセクト、活動家が大挙し大資本の不動産会社を許すなといった「左翼運動」に変質した。

マンション自体は開発審査の許可を得た建築物だったが、その後も住民訴訟、規制条例を求める署名活動が続く。2000年には上原元市長が東京都に対してマンションへ電気、ガス及び水道の供給を止めるように働きかけた。上原氏の支持者は“闘う市長 ”と喝采したが、これが民主的な態度なのか。

結局、国立市はマンション建設会社から訴訟を起こされ敗訴。上原個人が賠償責任を負う結果になった。誰も得しない顛末である。国立市民の中にはマンション容認派、また無関心派もいただろう。しかし一部の声の大きな市民によって市に不利益がもたらされた。

あるいは2019年、「令和元年東日本台風」(台風19号)で多摩川が氾濫し東京・二子玉川は被災したが、「景観」を重視した住民の反対活動があり堤防が建設できなかった経緯がある。「住民の意思」すなわち「自治」の判断が必ず正しいとは限らない。また住民に対する「配慮」とは往々にして「声の大きな市民」に対してだ。

そこで「住民投票」によって広く住民の声を問う意図だろう。ただし先述した通り、住民投票は市民の「分断」を招きかねない。加えて住民意思や自治とは「危うさ」も孕んでいることも我々、「市民」側がは自覚しておかなければならない。

外国籍住民の投票権で注目される武蔵野市の住民投票条例案だがこの際、「地方自治」のあり方まで広く議論させると良いが。

 

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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