福岡県の田川郡には多数の同和地区があるが、いわゆる「えせ同和地区」や未指定地区も多い。今回は、未指定地区と考えられる場所に行ってみた。
1933年の記録では砥石という50戸の部落があり、糸田町内では2番めに大きな部落である。
※コメント頂きましたが、この記事は「敗北」の可能性があります。本来の砥石の部落は隣の旭ヶ丘、納骨堂や改良住宅がある辺りである可能性が高いです。

現地を訪れたところ、同和施設は見当たらず、掲示物にも同和や人権といったものはない。


この公園を砥石児童遊園と言うらしいが、公園の名前は表示されていない。昔の地図だと確かにこの辺りに砥石という村がある。

掲示物をよく見ると粗大ごみ収集計画表に自治会名と思われるものが書かれている。砥石という名前はなく、この辺りだと真岡、旭ヶ丘、西部のいずれかが該当するようだ。

児童遊園のトイレを借りようと思ったが、残念ながら使えない状態だった。

ただし、公園は草が刈られ、清掃されている。


周辺を見渡しても、ごく普通の農村である。

周囲を散策していると住民に会ったので、砥石はどこか聞いてみた。
トイシというのは元々のここの地名で「戸石」とも「砥石」とも書くという。しかし、今は西部という地区名になっており、世帯数は70世帯ほどだという。

ということで、砥石は現在の西部で確定である。ここは間違いなく糸田町最大の未指定地区であろう。


公営住宅が作られなかったのは、ここは昔からずっと農村で、炭坑労働者の流入もなかったからではないかと思う。大きな家が多く、住環境はずっと良好であっただろう。


巨大な招き猫があり、周囲に本物の猫が多数たむろしている家が気になった。よほどの猫好きなのだろう。


時間がなくて墓地の散策などはできなかったが、未指定地区の特定成功は勝利にも似た快感がある。
旭ヶ丘に、炭坑労働者用の住宅らしきいわゆる公営住宅や納骨堂があるようなのですが、本村と枝村みたいな関係でもないのですね。
私も少し気になりました。
西部の東に隣接する真岡は、隣保館(真岡1697-1)があり、指定地区のようです。
そして、「糸田町営住宅設置及び管理条例」によると、改良住宅「旭ヶ丘団地」が1120番地1等にあり、その地番は西部に所在します。
(真岡にほぼ隣接しているので、真岡からスプロールなのではないかと想像します。)
鳥取ループさんが訪問されたところは砥石本村で、被差別民がいた砥石枝郷が今の真岡で改良事業が施された、ということでもないのでしょうか。
※町では例規をネットで公開していないようなので、「条例Webアーカイブデータベース 」で検索しました。
確かにその可能性があります。安易に未指定と断言すべきではありませんでした。
地区から離れた場所に住宅を建てる場合も多いので、地区に無いから「公営住宅は作られなかった」と言うのは違うのではないでしょうか。
宮部さんは「敗北」と言われてますが、部落に限らずこういう歴史検証は
仮説、誤認、修正が付き物だと思いますよ。
まずは「全国部落調査」があり、示現舎がこれを検証し、また視聴者が検証し、
誤認があれば修正する。
どこまでもこれの繰り返しではないですか。
他人の仕事に後から難癖をつける事ほど簡単で無責任な態度はありません。
私は10年、20年の検証、修正作業と考えておりますよ。
失礼ですが示現舎に全く難癖なんてつけてないですが。。。
それに敗北とも仰っていないと存じます。
あなたが仰る正しく知るために、ただただ疑問に感じたところを尋ねただけです。
簡単で無責任な態度って、あなた御自身自分では調査もせずに、また文章の意を把握せず、こういうことを平気で言う者こそが簡単で無責任な態度そのものだと思います。
今回は気づくはずのことに気が付かなかったのが不覚でした。
さらに修行します。