1928年の記録では、村上市岩ヶ崎には16戸の船乗りの部落がある。 大阪市立大学による『埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記』に 、次の通り記述された部落はこの岩ヶ崎のことと考えられる。
われわれは三面川を渡 って右岸を西に進み海岸に出る。山がす ぐ後ろに迫 っ た40戸のこの部落も未指定である。外航船の乗組員が多 くそのため婦人消防隊がしっか りしているという。部落のなかを歩いてみる。急斜面の保全工事が なされている。
しかし、航空写真や住宅地図で見ると、現在の戸数は多く見ても20戸程度に見える。過去の航空写真からしても、昔から大きく戸数は変わっていないので、40戸の時期があったとは考えられない。


現地は名前の通り、岩が多い海岸だ。

そして、このトンネルをくぐると部落の中に入る。

見たところ、明らかに農村ではなく、漁村のように見える。


観光客向けの店があったような形跡もある。近くに漁港はないので、外航船の乗組員が多いということは本当なのだろう。


消火栓が何箇所かにあり、防火には気を遣っていることがうかがえる。ということは、婦人消防隊がしっかりしているという記述も本当なのだろう。戸数以外の部分は文献の記述に合致している。


ここは非常に海が強いので、風が強い日には海水の飛沫が飛んでくるだろう。そのためか、錆びてしまった車がある。


ほとんどの家の表札は「瀬賀」か「須貝」だ。
地図によれば多伎神社が近くにあるので、行き方を聞いてみると、「滝の前という部落の近くに入口がある」という。無論、ここでいう部落は集落の意味である。

これが多伎神社の駐車場。地元では「おたきさま」と言われている。


神社はとてもユニークな場所にあり、三面川の河口沿いの細い道を歩いて進む。



神社の向こうにはさらに道が続いており、磯釣りのポイントになっている。ただ、今日は誰も釣れている様子がなかった。

斜面には猿がいた。
関西電力の社員が高浜町の元助役から金品を受け取っていた問題、
この元助役について調べてみたら色々と出てくるのでは。
https://www.sankei.com/west/news/190929/wst1909290013-n1.html
本文と関係のないコメントで恐縮です。
京都市山科区を探訪されるご予定はないですか?部落とされる地域には典型的な改良住宅等がない一方で、駅前には上田藤兵衛先生が興した天智教なる宗教団体?の大看板があったり、町史には時の町長が特殊部落発言に関連して撲殺されたことが書かれている等、因縁めいた場所かと思います。
私は知識も行動力もない一般人なので、ぜひ探訪を検討いただけると幸いです。