部落差別解消推進・部落探訪(99)
静岡県静岡市清水区西久保車形

By 鳥取ループ

今回はまた、旧清水市の部落にやってきた。当然、ここも同和地区指定されなかった部落である。1935年当時の世帯数は26、人口は184と記録されている。

しかし、1925年5月1日の全国水平社静岡県執行委員会に西久保の勝沢勝太郎と勝沢荒太郎という人物が出席したという記録があるので、水平社が結成されていたものと考えられる。

「車形」という地名だったということ以外、これと言った手がかりはない。ただ、地方都市の部落の特徴として小規模事業者が多いと薄々感じているので、この辺りではないかと考えた。

道は広く、入り組んだ路地は見られない、ここが本当に部落なのだろうか?

古い家があり、都市スラムの痕跡かとも思えたが、このような家は部落に限らず見受けられるので、これだけで断定できないが、やはりこの一角は際立っているように感じる。

神社を見つけた。多くの氏子を抱えているようなので、世帯数からすると、部落の神社というわけではなさそうだ。

神社の近くの住民に聞いてみると、「車形」というとさきほどの場所で間違いないらしい。「加藤木材産業の周辺」ということだ。

この辺りが部落の中心と見て間違いないだろう。さらに、この辺りの住民の墓地があるというので行ってみた。

墓石に「勝澤」の文字が。水平社執行委員会の出席者の名字と一致するので、ここで間違いないだろう。現地で裏付けが取れた瞬間は、やはり嬉しいものだ。

古い墓石に「妙」という文字があるので、日蓮宗だろう。これも予想されたことだ。

日蓮宗の戒名は○○院○○士という形式であるらしい。この墓地は全て日蓮宗であるように見える。

公民館の脇にあるこの石碑も日蓮宗ゆかりのもの。墓地と部落の中間点辺りにある。

部落差別解消推進・部落探訪(99)
静岡県静岡市清水区西久保車形
」への7件のフィードバック

  1. 最初の神社は見当違い
    袖師ふるさとの路41の八幡大神社の稲荷清正公合祀の堂を撮ったほうが良かった
    墓は西久保だが子孫は宮下町の方に分散が多く
    決定的な同和姓が移住している

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  2. 清水人です

    自分の地元を誰かが探訪して記事にするというのは、なんだか気恥ずかしいですが楽しいもんでもありますね。懐かしい光景がちらほらと…。
    一箇所目のお堂は神社ではなく秋葉寺というお寺(かなり神仏習合の名残が感じられる寺ですが)で、市内では年末の例大祭で有名な古刹です。「部落の神社(寺)」というものでは全く無いですね。
    https://www.sakuyaoi.com/entry/akihasan
    最後の写真の、町内会の公民館になっている建物(八幡神社)の境内の石碑は、明治14年、日蓮さんの600回忌に建てられたものと彫られておりますが、石碑裏側に建立者の一覧が刻まれており、そこには「勝澤何某」という名前が十数人あります。せっかくですからそれを画像にして欲しかったですね。
    後に地元の水平社を結成した勝澤氏の父親や祖父、叔父さんにあたる人々かと思われます。
    この八幡神社こそが、かつての部落の神社とみて間違い無いでしょう。
    それにしても「ここは本当に部落なのか」と書いておられる通り、他地域で俗に「部落」とされるようなイメージに乏しく、地元民の意識も入江地域と同様、もはや部落であった事が忘れ去られているんですよね。
    あと一点、強いて挙げると、八幡神社の近く(住所上では西久保ではなく宮下町)に40年余り前に民間のマンションが二棟建てられているのですが、建設前の用地に「名残をとどめる」一角があった可能性はあります。今となってはその当時の様相を確かめるのは難しいですが。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      詳しい解説ありがとうございます。すみません、石碑の裏側は見落としていました。
      あまり時間がなかったこともありますが、次回からそういった場所は見落とさないように気をつけます。
      八幡神社の近くのマンションを国土地理院写真で見たのですが、70年代には更地になっていて、60年代には材木工場のようなものが見えます。

      返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      袋井市岡崎のことでしょうか?
      探訪にあたってのポイントがあればお願いします。

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