学術・研究:部落探訪(74) 滋賀県東近江市石塔町“石塔二区”

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

東近江市石塔町いしどうちょうはニコイチ住宅が立ち並ぶ、見た目ではいかにも同和地区らしい場所である。しかし、旧蒲生町がもうちょう時代に同和事業を廃止し、その状態で2006年に東近江市に合併したという経緯がある。現在の扱いとしては同和地区でも未指定地区でもなく、同和地区指定を解消した地区に該当すると考えられる。


1888年の記録では部落の世帯数14,人口85。1931年の記録では世帯数39,人口157とある。1996年に滋賀県により作られた『同和地区地域総合センター要覧』によれば世帯数は72,人口は281となり増えている。72世帯のうち約半数の42世帯が改良住宅だった。生活保護世帯はなかったとされる。

1974年に滋賀県同和事業促進協議会により発行された『滋賀の部落』によれば、昔は「草谷村」と呼ばた。文字通り石塔が並ぶ、天台宗の石塔寺に近いが、部落の起源は石塔寺とは無関係であるという。おそらくは約300年前によそから移住してきた開拓民で、先住地は現在の東近江市御園町だったとも、近江八幡市末広町だったとも言われる。

石塔町全体が部落というわけではなく、この標識がある「石塔二区」が部落にあたる。もとは石塔とは別の村だったが、明治以降に徐々に石塔本村の近くに家が建つようになり、「石塔第二」と呼ばれるようになったという。近世以前は6世帯以上に増えることを禁止され、石塔本村と交流はあるものの本村に隷属するという関係で、婚姻等の通常の村との間であるような交際はなかったという。

これは石塔公民館。かつては隣保館である石塔会館の新館だった。もう同和色はない。

こちらは石塔会館の本館と考えられるが、今はNPOが入っている。

バス停は石塔会館のままだ。

滋賀県内ではよく見られる住宅案内図。昨今は個人情報クレーマーにより撤去されることが多いが、残っているのは素晴らしい。「森」「山口」という名字が多いことが分かる。

地区内に多数あるレトロなニコイチ住宅。中央が分割されておらず、番号が掲げられているので、おそらく払い下げは終わっていないのではないかと思うが、かなり自由に工作物が付加されており、空き家になっているものも見られる。

急傾斜地で、条件の悪い土地にあることが分かる。

こちらは部落ではない本村側。

こっちは隣接する平林町でここも部落ではない。住宅案内図がなければ部落の境界はなかなか分からない。

谷の上の方に向かって歩くと、風景が全く異なる。ここは持ち家ばかりで、田舎の立派な屋敷が立ち並ぶ。部落内の格差が大きいように見える。

しかし、ここもまた部落内であることは間違いない。

浄土真宗大谷派の正念寺。これは1926年に部落改善事業が行われる中で建てられたものだという。

昔から農地が少なく、今でも兼業農家がほとんどだという。

谷の奥に再びニコイチ群が現れた。ここが部落のどん詰まりだ。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(74) 滋賀県東近江市石塔町“石塔二区”」への7件のフィードバック

  1. 滋賀太郎

    勉強になりました。
    私もここへ行ったことありますが百済から来た渡来人の末裔だと思っていました。

    返信
    1. 茨城で休憩中

      あり得るかも知れません。祭りの黒装束姿は異様に気が入った様に観じました。ちらっと見かけただけですが。あの近辺は気が荒い方が多い様です。

      返信
  2. キャップ

    いやぁ最高でした。ありがとうございます。ぜひとも犬上郡にもおいで下さいませ

    返信

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