殺人未遂事件の裏で垣間見えた「自由同和会王国・岐阜」

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By Jun mishina

部落解放同盟岐阜県連元大垣支部長の石井涼也氏の殺人未遂事件は、同和枠融資、公共事業における同和企業の優位性といった問題を浮き彫りにした。

それとは別に、岐阜県は「自由同和会」がとても強いこと。これも今回の取材を通して痛感したことだ。まさに“自由同和会王国”と言ってもいいかもしれない。そんな岐阜の同和団体事情をお伝えする。

はじめに「自由同和会」と言ってもあまり馴染みがない人も多いだろう。もとは1986年に全日本同和会から分派した団体である。この当時、全日本同和会は、不祥事が相次ぎそれに反発したグループが自由同和会を結成した。通常、政府との交渉団体は、部落解放同盟、全国地域人権運動総連合(人権連)、全日本同和会と言われるが、ここに自由同和会が加わることもある。戦前の融和団体の系譜を継ぐ全日本同和会から派生した団体であることから自由同和会も保守系・融和的な組織で、自民党とも関係が深い。機関紙を見ても、甘利明元内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、谷垣禎一元自民党幹事長らの講演会などが掲載されている。

自由同和会、全日本同和会は分裂した団体だが、ある共通点がある。解放同盟の大会では、差別禁止法の制定、あるいは人権連の場合、同和事業の批判など主張が理念的、イデオロギー的であるのに対して、自由同和会・全日本同和会は「公共事業の増強」といった要求が中心だ。ある意味、主張と運動スタイルが最も分かりやすいのが両団体だ。

過去、両団体の運動家と接触した時は、とても印象的だった。選挙取材で自民党の地方組織の役員に取材した際、名刺交換をすると最初に「自由同和会」を冠した名刺を渡された。「こっちじゃ具合悪いな」と変わってその役員の会社の名刺を渡された。やはり建設業者だった。

またこういうこともあった。かつて『月刊同和と在日』を刊行してた時分、ある記事をめぐり全日本同和会から話し合いを求められたことがある。指定された“とある会場”に居並ぶ全日本同和会の運動家たちはまさに“ガテン系”。現場仕事のおじちゃん、アンちゃんといった感じで、一同、つい今しがた現場に出ていた様子だった。ここで面白かったのは、この会合後、同和会側の幹部が会員たちに「不満があれば、不満がある同士が(示現舎と)一対一で話し合え」と指示したことだ。もともと全日本同和会も自由同和会も「糾弾」という方法に対して、批判的だからこの対応は妙に感心したものだった。

県の施設に入居! 官製同和団体!?

ところで総選挙や参院改選時の選挙特番などで、岐阜は「保守王国」「自民王国」と評されているのを聞いたことがないだろうか。確かに伝統的に岐阜は、自民党が強い。ただ岐阜の場合、「保守」と言っても復古調的、国粋的あるいはタカ派的な意味合いの「保守」ではない。いわゆる「伝統的無関心」「お上頼り」であるとか、そういった意味での「保守」に相当する。こうした岐阜県という地域性を考えても自由同和会との親和性は高い気がしてならない。また共産党に近い人権連の活動が皆無なのもこうした地域性が左右しているだろう。

もう少し言えば自由同和会は、融和団体という以上に“官製同和団体”という色合いが濃い。それは、県本部の事務所が「岐阜県シンクタンク庁舎本館 」(岐阜市藪田)に入居している点からもよく分かる。県庁管財課によるとシンクタンク庁舎本館は県が認可した関連団体が入居できるという。自由同和会も県の関連団体という位置付けた。

殺人未遂事件の裁判の渦中、被告だった石井涼也氏の父、輝男の人物像を調べるべく関係者を取材した。そこで自由同和会の事務所にも取材を試みた。輝男氏は、解放同盟岐阜県連の執行委員長であり、県内の人権活動に参加していた人物。他団体とは言え、相応の知名度を持つだろうと考えたからだ。ところが自由同和会岐阜県本部事務所の担当者は「本当によく分からないんですよ。同和団体と言っても交流とか横のつながりがないんです」と苦笑する。団体の活動も企業向けに「えせ同和行為の根絶」だとか、企業研修などが中心のようである。例えば「糾弾」とか「差別行政を許すな」と言った強い文言は皆無だ。都道府県や市区町村が発行する人権啓発パンフなどの内容とそう大差はない。

北原泰作の故郷、岐阜市黒野

さらに岐阜市黒野周辺にも取材を試みた。ここは、岐阜で同和問題、人権問題のモデル地域として取り上げられることもある。そして部落解放同盟の中央執行委員などを歴任するも、後に融和政策を掲げ、「国民的融合論」を提唱した北原泰作の故郷である。各地域の同和問題を取材の場合、まず近隣の隣保館に行く。最近は、減少したがたいてい隣保館の館長や職員は、部落解放同盟員が務める場合が多いためだ。岐阜市黒野会館(岐阜市下鵜飼)で石井輝男氏に関する何らかの手掛かりがあるかと思いきや、まるで事情は異なった。

対応した隣保館職員は事件について「知らない」とした上でこう付け加えた。「ここは自由同和会の方がよく利用しますが解放同盟の人はほとんど利用実績がないんですよ。地域の解放同盟の人は、高齢化もされ本当に数えるぐらいです」と説明する。これも珍しい話だ。もちろん例外はあるが、隣保館と言えば解放同盟の活動拠点と言ってもいいほどである。それが自由同和会の利用が中心とは、全国的にも稀なケースかもしれない。

しかも同館ではイデオロギーめいた活動がなく、自由同和会主催の活動でも手芸教室など趣味サークルのようなものが大半だという。さすがに北原泰作の地元だけに黒野もとても融和色が強いのだろうか。また運動家の高齢化は進んでいた。

地元運動に関わっていたというお宅を訪問した時のこと。しかし入り口付近がすでに荒れ放題の上、玄関前に猫の死骸が横たわっており、それに虫がたかっている。もはや活動実態以前の問題だ。仕事柄いかつい活動家が出てくることは慣れているが、この死骸には青ざめてすぐに退散した。

黒野のカルチャークラブ。看板だけは立派だが…

黒野のカルチャークラブ。看板だけは立派だが…

自動車はホコリを被っている。

自動車はホコリを被っている。

中は草が伸び放題で盆栽が放置され、玄関前には猫の死骸が。

中は草が伸び放題で盆栽が放置され、玄関前には猫の死骸が。

あまり成果がなかったが黒野取材だが、とにかく岐阜は自由同和会が強いことがよく分かった。この背景について県内の同和事情に詳しい団体職員はこう解説する。

「自由同和会が全日本同和会から離脱する時に岐阜や四国の県連が中心的な役割を果たしたんです。その当時、自由同和会の結成には、橋本はしもと敏春としはるさん(現同岐阜本部会長)が中心になっていました。岐阜の自由同和会が強いのはそういう経緯があるからでしょう」

自由同和会の結成には岐阜の運動家たちの存在が大きかったのだ。ただし融和的であるがゆえにこうした問題もあるという。

「県内の有力銀行や企業には『同和対策室』が設置されているが、これは80年代頃から“えせ同和撲滅キャンペーン”を受けて各企業が作ったもの。ところが今ではただ警察OB、自治体OBの天下り先に堕しています。自由同和会の集会や研修会にも同和対策室の担当者が出席しているが、啓発パンフレットそのままの話ばかりです」(前同)

よく言えば融和的だが、逆を言えば毒にも薬にもならないようにも見える自由同和会。果たして彼らは今回の解放同盟支部長による殺人未遂事件をついてどう思うのか。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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殺人未遂事件の裏で垣間見えた「自由同和会王国・岐阜」」への6件のフィードバック

  1. うんじゃらげ

    正常化連=全解連の北原泰作に言及しておられますが、融和政策と「国民的融合論」の内容は同じなんですか?

    融和運動は自民党、国民的融合論は共産党なので、両者が同じことを言っているとすると驚きです。

    返信
    1. 鳥取ループ

      すみません、私の記事チェックミスです。

      融和主義と国民融合論は別のものです。それどころか、北原泰作は融和主義を批判していたと思います。
      ただ、解放同盟の目から見れば融和主義も国民融合論も同じようなものと見られているようですが…

      返信
        1. 鳥取ループ

          融和主義は国の政策として融合を図るものですが、共産党の言う国民融和は権力から独立したものと理解してます。

          返信
  2. 大阪ループ

    本の中の石井と下城の絵よかったらかかかせてもらえません?無料です。というか考えあれば?

    返信