同和・沖縄・アイヌ 三者をつなぐ国際NGO「IMADR」とは?

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By Jun mishina

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示現舎は「同和」「在日」を中心に「沖縄」「アイヌ」といった問題を取材してきた。もうご承知の通り、これらの団体、問題は日本ではタブーをとされており、一般メディアで仮に擁護、啓発記事が掲載されたとしても、批判記事が大々的に報じられることは稀だ。

そして現在、沖縄の普天間飛行場移設の他、アイヌ問題、またヘイトスピーチ規制が議論される中で、ある団体が横断的にこの問題に絡んでくる。

それが本稿で扱う国際NGO団体「反差別国際運動」(IMADRイマダ)である。一般的にはあまり聞きなれない団体ではあるが、おそらく本書を手に取った方ならまず一度は、聞いたことがあるだろう。

なお通常、国内の活動拠点を示す場合は、反差別国際運動(IMADR―JC)と呼ぶが便宜上、本稿では「IMADR」で統一して進めて行く。

結論から言えば、同団体は、部落解放同盟の内部組織であり、いわば別働隊である。住所は、東京都中央区入船1-7-1 松本治一郎じいちろう記念会館6階で、部落解放同盟中央本部と同じ施設内にある。

もともと松本治一郎記念会館は、東京の六本木にあったものが入船に移ったが、とにかく日本の人権問題について部落解放同盟と同様に政治、行政などに影響力を与えていることは言うまでもない。

ではIMADRとは、一体、どのような団体なのか。ここでは、団体の本質について迫ってみる。

松本治一郎記念会館の思い出

くだらない話であるが、本論の前に小話を一つ。六本木に松本治一郎記念会館があった頃、何度かIMADR主催のシンポジウムに出席したことがある。六本木とは、日本でも有数の繁華街であり、今も昔も流行の先端の町だ。

そこに行政関係者や政治家すら名を聞けば震えあがる部落解放同盟の施設があるのだから、なんとも妙な取り合わせである。かつて六本木の待ち合わせと言えば六本木交差点前のケーキ店「アマンド」が有名だった。松本治一郎記念会館は、このアマンドから徒歩8、9分の場所にあった。

1階は部落解放同中央本部の事務所があり、専従職員や活動家たちが作業をしていた。2階には大会議室があり、シンポジウムはここで行われていた。

シンポジウムは、解放同盟の幹部の他、いわゆる人権派の弁護士や大学教官などが出席し、パネルディスカッションや活動報告などを行う。その後、車座になり参加者を交えて人権問題を議論するということもあった。

参加者たちは、「市民」を自称するがその多くは、まず「活動家」であり、何らかの市民団体に所属している人である。自己紹介する場合もあったが、まず風体からして活動家臭を放っており、要するにルックス自体が“名刺代わり”のようなものだ。

例えばこのようなパターンもある。それぞれ興味をもったテーマに対してだいたい4~5人が一組になりグループワークを行う。そして専門家がグループに1名つき議論の進行役を務め、めいめいに問題意識を議論し合うのだ。

「私が日常で感じた差別」

著者が参加したのは、確かこのようなテーマだったと思う。いきなり進行役に「差別を感じたことがあるか?」と尋ねられた。

「差別を受けた経験」。実に難しい。私が鈍感なのかもしれない。だが生活に支障をきたした差別を感じたことはないので、「ない」と答える。しかしこれでは、納得されない。

「いやあるでしょ? 自分の差別を意識できないことは、他人の差別にも無関心ということですよ」と進行役や他の参加者からもたしなめられる。

しかしないはない。いや反応を見たいからあえてないと言い張ってみるという面もある。

というわけで次の参加者に質問がふられるわけだが、もちろんその他、出席者は違う。

「私は、通院しているが病院で他の患者に笑われたような気がした。すごい差別を感じた」

このように言ったとするともちろん同情の声が寄せられ、その病院や患者の責任を問う意見が飛び交う。

もうこうなってしまうと笑いをこらえるしかない。あまりにも教科書通りの差別体験だからだ。この「笑われたような気がした」というのは、部落差別の事例でもたびたび使われるものだ。何に対して「笑われた」のかここでは、問題にされない。

要するに誰かが笑ったという行為は、即「差別意識」に起因していると断定されてしまう。この時、突然、「通院している」という女性は、「怖い怖い」となぜか痙攣けいれんし出し、スタッフに抱えられ退出していった。

「一体、何なの? これ」

という思いをよそにグループワークは、進んでいく。一応、国内における有数の人権団体だが、内情はえてしてこんなものである。

IMADR発足前夜

IMADRは1988年1月25日、部落解放同盟が中心になって設立された。解放同盟以外では、北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)、全国障害者解放運動連合会、民族差別と闘う全国連絡協議会他、海外の団体が参加。

発足時の役員は、理事長が部落解放同盟中央本部、上杉佐一郎さいちろう中央執行委員長、事務局長に部落解放研究所の村越むらこし末男すえお理事長、他役員20名中7人が解放同盟の関係者だった。こうした陣容を考えれば IMADR=解放同盟 と見るべきだろう。

現在は、理事長職を務めるが武者小路むしゃこうじ公秀きんひで氏が、解放同盟からも組坂くみさか繁之しげゆき中央執行委員長が副理事長を務める他、理事に北口きたぐち末広すえひろ中央副執行委員長がおり、事実上、解放同盟の影響下にある。

発足後、1989年、1991年と二度にわたり、登録申請は、却下された。国連内部からも「糾弾」などの行為が不当として、登録について慎重にすべきという意見もあったという。

1993年3月30日に国連NGOのロスター(メンバー)として登録された。この当時は、まだ解放同盟は「確認会・糾弾会」を背景に激しい行政闘争を繰り返した時代。

日本共産党系の全解連(現・人権連)からも批判を受け、登録については裁判闘争にも発展した。共産党に限らずIMADRの国連NGO登録に警戒感を抱く団体、関係者は、少なくなかった。

ただでさえ国内の行政機関、企業に強い影響力を持つ上に、国連にまで発言権が及ぶとなればさらに解放同盟の権限や存在感が増大するからだ。しかも「国連」という日本人が最も弱いであろうこのお墨付きを与えるわけだ。

通常、国連NGOに登録されると、国連の経済社会理事会などと協議資格を持つことができる。たまに「国連から日本政府に是正勧告」とIMADRなどの機関誌に掲載されることがある。こうした勧告もすべてこれらNGOの主張や協議によってなされるもの。
とは言え国連NGOと一言でくくってもその扱いはカテゴリーで異なる。

一般協議資格団体(カテゴリーⅠ)、特別協議資格団体(カテゴリーⅡ)、そしてロスター(カテゴリーⅢ)という区分。

一般協議資格団体は、幅広い諸問題について、一方、特別協議資格団体は、特定の分野についての協議できる。ロスターについては、「場合によって経社理あるいはその補助機関の活動に有用な貢献を行いうる」という扱いゆえにランクとしては最も低い位置だ。

しかしながら国連NGOという大義を得たのには、変わりなく国際政治の舞台で実質、解放同盟の主張が少なからず反映されることを意味する。やがて2008年にIMADRは特別協議資格を得ることになるが、ロスターか特別協議資格であるかは問わず、国内外での運動に展開していった。

現在は、ジュネーブにも事務所を設置しており日本の国連NGOとしてはもっとも活発な活動を行っている。
 

ドゥドゥ・ディエン人種主義

それ以来、同和問題に限らず在日コリアンの人権問題、朝鮮学校の無償化、沖縄の基地移設問題、またはアイヌ問題など幅広い人権運動に関わっている。

もちろん部落解放同盟もIMADRの活動を重視しており、大会なども同盟員たちに活動の理解、参加を求めている。

特別協議資格を取得した2008年の部落解放同盟全国大会の運動方針を見ても「反差別国際連帯活動を強化しよう」と明記している。「従軍慰安婦に対する謝罪と補償」、「国内人権機関の創設」の他、「世系にもとづく差別に関する一般的勧告29の普及と宣伝」などだ。

この項目が部落差別として国連の場で主張していくと言うのだ。

ドゥドゥ・ディエン人種主義・人種差別等に関する国連特別報告書による日本訪問報告書を活用した「人種差別撤廃NGOネットワーク」への参加を呼びかけている。

ドゥドゥ・ディエン氏とはセネガル出身で 国連人権委員会の特別報告者だ。日本の人権団体に招待され、同和地区のフィールドワークや京都のウトロ地区の視察を行い、これが「日本の差別だ」と言わばんかりに国連人権委員会の場で報告する。要する特別報告者といっても人権団体丸抱えのいわば“運動家”。ではディエン氏に同和問題の歴史や、在日コリアンの歴史を尋ねて答えられるものでもないだろう。

えてして国連の場とはこのようなものである。日本の事情を精査したわけもでもない委員が一部の運動家のレクチャーを受けて、断片的な知識で日本を非難する。その実態が垣間見えるエピソードを紹介しよう。

「国連・自由規約委員会第五次日本政府報告書審議会」に参加した人権団体関係者は、その中身をこう解説する。

「NGOメンバーらは、『意見交換会』として日本国内の人権状況を報告します。約一時間のランチ時間を使って、一団体が3分ほどで人権問題を訴えます」

わずか3分でとても委員たちが理解できるとは、思えないがとにかくこれを持って委員たちは「日本の人権状況」と判断するようだ。

人権規約委員会が終了すると、今度は「懸念事項」と「勧告」に分かれて、総括所見という形で日本政府に審議内容が報告される。

第五次の審議会の慰安婦についての所見を見てみよう。

懸念事項「委員会は、締結国がいまだに第二次世界大戦中の『慰安婦』制度に対する責任を認めておらず、加害者が起訴されていないこと、被害者に支払われた補償が公的な基金ではなく私的な寄付によって提供され、それが不十分であることについて、また『慰安婦』問題に関する記述を含む歴史教科書がほとんどないこと、そして被害者を引き続き中傷もしくは否定する政治家やマスメディアが存在することについて懸念を持って言及する」

そしてこの懸念事項を受けて出された勧告がこれだ。

「締結国は慰安婦制度について、法的責任を認め、大多数の被害者が容認できる方法で謝罪し、被害者の尊厳を回復し、現在も生存している加害者を訴追し、生存する被害者に適切な補償を行うよう迅速かつ効果的な立法的及び行政的措置をとり、この問題について学生や一般大衆を教育し、被害者を中傷したりこの事件を否定したりするようなことに対しては異議を唱え、処罰するべきである」

まるで人権団体の機関紙に掲載された文章化と見間違う内容。ここに中立性や客観性があるだろうか。

慰安婦問題について疑義を唱えたら処罰すべきともいう。では『朝日新聞』が正式に誤報と謝罪したいわゆる「吉田証言」についても鵜呑みにして慰安婦問題は、全て事実だと言うのだろうか。

こうした報告にもIMADRの主張が大きく影響しているわけだ。要するに彼ら部落解放同盟にしてもIMADRにしても国内においては「行政も部落差別を認めた」などと喧伝する。そして国際舞台の場で今度は「国連も日本が非人権国家と認めた」とほくそ笑んでいるのである。

しかしレッテルや権威に盲従する態度が差別を生みだすと言いつつ、自分たちはこれみよがしに「行政」「国連」を持ち出すのであるから矛盾しているのではないか。

IMADRの戦略は?

ところが興味深い点もある。実は朝鮮学校の無償化やアイヌ問題、あるいは沖縄の普天間飛行場の問題については、国連人権理事会でもそれなりに理解を示してもらえるのだが、実は同和問題については“微妙”な扱いなのである。

つまり委員たちからも「部落問題が地域的な差別か血統による差別なのか定かではない」として明確な勧告を引き出せていないのである。そこでIMADRが話題になっている現象を中心に攻撃しようというのだ。

もちろん現在だと沖縄が最もホットなテーマ。そこで「沖縄県民の人権が辺野古新基地建設計画によって脅威にさらされていることを懸念する。人権を守るために抗議する人々が警察や海上保安庁の暴力の対象となっている。日本政府に対しこのような暴力を控え、沖縄の自己決定権を尊重するよう要請する」(琉球新報2015年6月26日)などと訴えた。

2012年にもIMADRは辺野古移設やオスプレイ配備の撤回を日本政府に勧告するよう求める声明を人権理事会に提出している。
とにかく「国連」という言葉に弱く甘い、日本政府を外から攻撃しようと言うハラだ。

国内においてはもはや同和行政に陰りが見える今、今度は国連の場で新しい抗議団体と化そうとしているのか。今後もIMADRの活動家ら目が離せない。

※写真はIMADRに理事として名を連ねる部落解放・人権研究所代表理事の奥田均氏や申惠丰≪しんへぼん≫青山学院大学教授が参加した差別禁止法を求める市民活動委員会設立総会。部落解放同盟、IMADRの関係者が連動して活動している。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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